手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

目線を追う表情は手話では大切 下品 鋭い 鋭利 ずるい 鋭い 鋭利 危篤 死ぬ寸前 からっぽ 京都の手話

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手話を知らない人も

            手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー


下品

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 下品の手話は、仏教の浄土に往生する上中下の下位の往生から来ているのではないかと思える。

 

 鼻を剥ぎ取るようにして手のひらに落とすが、そこでとめる手話。

 

やっていることが悪い場合によく使われた手話。

 

 上品は、下の写真の手のひらに添えた指を上に上げる場合もある。

 

鋭い。
鋭利。

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 右の人差し指に左親指と人差し指で輪を作り、左親指と人差し指の輪を次第に狭めて伸ばすことで鋭さを表す手話。

 

 なお、これまでもこれ以降も左手右手と書いて説明するが、明石欣造さんの場合は、右利きであるので、そのまま説明しているが左利きの人はこの説明と左右の手の動きは違っていた事は言うまでもないことだろう。

 

 目線を先へ先へと追う表情は手話では大切である。


ずるい。

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 狡いの交をとり、顔の裏面を表現しているようにも見えるが、手のひらを返した顔でそれまでと裏返しの表情で人を騙したり、ごまかしたりする手話で、ずるい、を表現したと聞いた。


危篤。
死ぬ寸前。

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 死ぬ、葬式でも述べたが、手を合わして倒すと死。その寸前で合わせた手を止めているので死ぬ寸前、危篤の手話。

 

からっぽ。
空。

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 手のひらに何もないを右手を左右に動かして、空であることを示す、からっぽの手話。


おかしい。可笑しい。

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 人差し指と親指を付けて顎の真ん中に付けると疑問、変、疑いだが、人差し指を付けることでおかしい(疑問の意味合いをもった)という手話。

 

 どうも話が「おかしいぞ」という場合などや「その手話はおかしい、そうではないよ」などの意味で使われた。

 

ろうあ者はまったく聞こえないと決めつけてはならない 当然 当たり前 遅い ゆっくり うるさい 騒音 女天下 おとなしい 物静か 気が弱い 京都の手話

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

当然。
当たり前。(当=あたり 前・まへ )

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 当然の当て字を手話に採り入れて、右の手の平を頭にあててから左の水平にした手のひらで叩く手話。

 

 頭の中のこと、手を叩くで、思う通り、当然のことなどの意味合いを持たせる。

 

 平和をねがうのは当たり前、と何度も聞いた。

 

遅い。
ゆっくり。

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右の親指と人差し指を開いて、ゆっくり左方向に半円を描くように動かすことでゆっくりの手話。

 

 完全に半円を描くと日が昇り、夕陽が沈むで一日となるが、そこまでしないで太陽を時間に見立てて「ゆっくり」「おそい」「のろい」などの手話。

 

うるさい。
騒音。

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 外耳に指を入れる動作でうるさい。

 

 聞こえる人もよく使う手話であるが、ろうあ者の手話に採り入れられただけではない。

 

 ろうあ者といえば、まったく聞こえない事を前提に手話のことを話す人がいるが、ある音やある振動はよく聞こえるろうあ者もいる。

 

 ろうあ協会の会議の最中によく机を叩いたり、床を蹴って、みんなを振り向かそうとするろうあ者がいた時、「うるさい」という手話がされた。

 

 手話は、聞こえる人々とまったく無関係の中で異なった表現形態であるとする人々は、これらの手話が多くあることを知ろうとはしない。

 

女天下。

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 主婦は、家の上に女としたが、女天下は、手のひらの上に乗せることですべてを押さえ込んだ(支配した)という手話表現となる。

 

おとなしい。
物静か。
気が弱い。

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 前屈して両手の手のひらを落とす手話。

 

 何も言えないでただ下を向く人の特徴を手話表現している。

 

 手のひらを落としているのでろうあ者の場合も何も手話で言えない、という気の弱さが見てとれる手話である。

 

ろうあ協会運賃割引制度の実現へ 京都の手話

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  1948(昭和23)年4月 盲学校・聾学校小学部への義務制が学年進行により施行。
 

  1949(昭和24)年5月 職業安定法の改正して身体障害者に対する職業補導等を規定。

 

        12月 「身体障害者福祉法」公布(18歳以上の障害者に,身体障害者手帳・補装具の交付,更生援護など規定)

 1952(昭和27)年3月 「身体障害者旅客運賃割引規程」を国鉄公示
 
と戦後の身体障害者福祉は「公布」されていくが、多くの問題が山積されていた。

 

 この一例が、日本国有鉄道国鉄)の身体障害者旅客運賃割引制度である。

 

 一種、二種と区別されるなどなど国鉄割引には、さまざまな障壁があったが、国鉄の割引制度であるにもかかわらず国鉄の割引証明書を民生課や福祉事務所にわざわざ行って証明印をもらって割引が受けられるというものであった。

 

 ろうあ者にとって福祉事務所は、国鉄の割引証明をもらうためだけのメリットしかないため全国的にほぼ共通して「福祉事務所」=「汽車・割引・所」と手話表現されてきた。

 

 決して、「福祉=幸せ・事務・所」とはされなかった。

 

 この問題の本質を突いた福祉事務所という手話は歴史的にも伝承される必要もあると考える。

 

 なお、国鉄の割引はあっても他の公共交通機関や私鉄の割引制度はなかった。

 

 明石欣造さんは、ろうあ協会を再建してこの問題に取り組んだことを述べている。

 

 特に京都市電や京都市バスの割引を実現していくが、暫時、私鉄の京阪、阪急、近鉄京福などなどにも働きかけていくが私鉄は私鉄の言い分で、各社一斉割引とはならなかった。

 

 だがしかし、ろうあ協会の運動がその後の歴史を変えていったことは事実だろう。

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  半額は、手のひらを真ん中に置いて半分・半額・割引の手話。

 

 電車は、この場合、日本の電線を人差し指と中指を伸ばして表し、右手の人差し指と中指を電線に沿わせて集電装置(パンダグラフ)を表し電車=電気鉄道として手話表現している。

 

 交渉は、親指(相手)に平手で近づけて、詰め寄る、押しかける、交渉するの手話。

 

  説得して、と書かれているが、「交渉するの手話」の相手を(この場合は人差し指)を倒して・打ち負かして、話をするという手話表現している。

 

 簡単に説得できたわけではないということが、手話表現にも出ている。

 

  頭にしまい込むという手話で、覚える。逆にすることで忘れるという手話であるが、この写真の場合、頭に残って(拳で表現)いるので忘れられない、記憶に残り続けるという手話になる。

 


 また身体障害者の半額(割引)は出来ていたが、電車・バスの割引はろうあ者は出来ないでいた。(難しかった。)そこで、考え抜いて交渉して了解させることに成功した(実現した)。日本で初めてのことだったので忘れられない。(頭の中に固く残っている。忘れられない事・記憶である。)

ろうあ協会の再建がなければ 京都の手話

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  戦後ろうあ協会の再建をするため大変な努力をしたことが述べられている。

 

 このろうあ協会の再建がなければ、戦後の混乱期はもちろんその後のろうあ者福祉・聴覚障害者福祉は後退したのではないかと思われる。

 

 ろうあ者の結束がどんな成果を産みだしたかが、以降に述べられる。

 

 今では、あたりまえのように思っていることも、実はろうあ協会の血と汗の努力の結果であることが解る。

 

 再建は、倒れたものをもう一度立てる動作、または旗を立てる(揚げる)の手話。

 

 ため・的を射る・目的を果たす、目指すなどなどの手話。

 

 拳を立ててその中心の円に人差し指があたるという動きで、ため。

 

 努力は、岩盤をくり抜くなどの意味を含めて左手を岩や板に見立てて、人差し指を錐のように動かす。この手話の動きで、努力している程度が解る。

 

 ました。は、両手をそろえて付け、それをひっくり返す。

 

 本をひっくり返すことが、授業の終了であり、次の時間には、ひっくり返した本を戻して授業の開始という動作から、終了しました、完成しました、終わります、などの意味を含ませた手話だとされている。

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 戦争に負けた後、京都ろうあ協会の再建を目指して一生懸命努力しました。

 

全国のろうあ者が結束して交流しようという意気込み 京都の手話

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  1948年 5月10日 第1回全国ろうあ者大会が京都で開催された。

 

 その時の想い出を明石欣造さんは語る。

 

 戦後の混乱期。食べ物(戦前から続く配給制など)や宿泊先も何もかもが苦労の強大な塊だった。

 

 でも、全国のろうあ者が結束して交流しようという意気込みは、困難を打ち砕いた。

 

 そのことのほんの一部を語る明石欣造さんの話は大変貴重だと思う。

 

 手話では、第一回としないで、初めて(初めて・始めては漢字の意味的にも区別されていたが。)という手話は、この写真では手のひらを水平にして、すぐに腕にあげて1を表しているが、頭上より高い位置まであげていることから感動の感情が強調されている。

 

 通常は、手のひらを水平にして、すぐに腕にあげて横一で人差し指を胸のあたりまであげるのだが。

 

 苦労は、あれこれと気を遣うという意味で頭を叩く手話。この手話は、めんどう、とも使われた。

 

  砂糖は、なめると甘い動作の手話。酒は、顎と額を下から上にほんの少し軽く叩く手話。

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  初めて全国ろうあ者大会を開きました。


 大変苦労したのは、砂糖や魚や酒などが不足していたことです。これはどうしようもないことでしたが、いろいろと考えて役所にお願いしました。役所からチケットをもらい、(不足していたものを)交換することが出来てみんなに大変喜んでもらうことが出来ました。

 

大原省三さん 手話を非常に深く研究することに一生懸命になって 京都の手話

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  最初に述べておきたいのは、「右手に左手を開いて右手開いた手を閉じる手話」を伊東雋祐氏は、「癖」というように書いているし、捉えていたが、これは明らかに違う。

 

 「右手に左手を開いて右手開いた手を閉じる手話」は、手の中に「取り込む」「覚え込ませる」という手話で、「癖」という手話ではない。

 

 「癖」と訳すことでその後の話の内容がまったく異なってくる。

 

 明石欣造さんは、大原省三さんとの交流をひじょうに大事にしていた。

 

 大原省三さんは、「手話の知恵―その語源を中心に」などの著作を次々と世に現し、手話の知恵、手話の語源を非常に大切にした人である。

 

 元々画家で、ろう学校の教師をしていたが、若い頃から日展に入選されるほどの腕前の持ち主であり、ウイットにとんだ話をされる。

 

 大原省三さんの自宅でアトリエで手話について長時間話し合った。彼は、戦前のろう学校の教科書を調べあげて、手話の語源を研究していた。

 

 話の中で、戦前のろう学校の教科書は漢文でとても難しく、授業に飽きた生徒は教科書の「挿絵」に魅入って時間の経つのを待っていた。

 

  その「挿絵」の中から取り入れられた手話も多い、と具体的に「挿絵」と手話の関係を教えてくれたことは今だ忘れられない。

 

 不思議なことに、「挿絵」の中から取り入れられた手話は京都の手話とほとんど一緒だった。

 

 大原省三さんと意気投合してから以降、大原省三さんの絵とともに手紙のやりとりが長く続いた。

 

 明石欣造さんと大原省三さんは、若い頃から交流があり、手話の意味や手話の大切さやその芸術性まで話が弾んだことだろう。

 

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  みなさんもご存じだと思う著名な大原省三(耳朶をつかんで=大原省三)先生。

  私は(大原省三先生を)尊敬しています。手話を非常に深く研究することに一生懸命になって非常に感動しました。
 
 私もまだまだ(意味深く研究していない=つまらない・到らない 謙譲してあえて表現している。)ですが、習得した京都の昔の手話を広め指導しているんです。

 

繋がりをもって連続的に表現されている手話のなかに 京都の手話

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  手話を撮った写真の次への写真の間にある動きは、とても大切なものであるが、右手と左手などの位置を知って次の写真を見てほしい。

 

 右手左手などの動きが、次の手話になるとスムーズに動かせるようになっていることが解る。

 

 つまり繋がりをもって連続的に表現されている「証し」なのである。

 

  手話で表されている「映画」は、右手の平と左手の平を上下に回して動かしフイルムの一コマ、一コマが動く様子で映画という手話を表現している。

 

 ところが、 現在、よく見かける手話表現は、フイルムが切れて、一コマ・一コマ・一コマとなって、連続した手話表現になっていない場合が多い。

 

 ギクシャクした手話とも言おうか。

 

 明石欣造さんが、よく言っていたのは「ギクシャクした手話」は、とまどいやごまかしがある手話で、そこにはとまどいと自信のなさなどが解るということを想い出す。

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  (邦画で字幕がない時は)

 

   映画を観る前にいろいろな本(映画 注当時大量に発刊されていた。時には、脚本が掲載される時もあった。)探して読んで解っておく。

 

 会話などで解らない時は、筆談で聞いて、映画を観てなるほどなるほどとわかった。

 

 するととても良い映画で忘れられなくなった。