手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

至福のごちそうの想い出を表現 するめ 氷 京都の手話

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手話を知らない人も

          手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

するめ

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 右側 太陽の日差し すなわち太陽にあてて干すの意味を含めて表現。

 

 左側 顎の下に手をあててそれぞれの指を上下する。イカが泳ぐ表現。

 

 太陽の日差しで干されたいか=するめ と言う表現である。

 

 かっては、京都北部の海岸線にはイカを切り裂いて天日干ししてするめにしている光景が到るところで見られた。

 

 氷。

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 かき氷と言うほうが適切だろう。冷たい=氷 氷を氷鉋で削って蜜をかけて食べる至福の時の想い出が込められている。

 

職人の手さばきを見つめ手話にとり入れる見事さ 米 刺身 京都の手話

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

米。

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 白=歯 と米の楕円形の形を人差し指と親指で表して米の手話。

 

 白米といったほうが正確かも知れない。稲にまつわる手話はさまざまあるが、食べるしぐさがないのは、白米だけのご飯にありつけなかった長い時期をあらわしている。

 

 一動作だけですべてを表現する手話には、説明にこだわったり、漢字にこだわったり、音声にこだわったりする者の追随を許さない。

 

 コミュニケーションが成立すれば簡略化する手話表現の見事さがみられる。


  刺身。

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 魚など(右手)を左手でさばいて、刺身の手話。

 

 寿司屋で生まれ育った明石欣造さんならではの手さばきが表現されている。

 

 明石欣造さんが育った時代は、カウンター越しに寿司を頼むのではなく注文を受けて配達するのが主な仕事だった。

 

 西陣の入り組んだ路地をぬうように自転車を操り配達する。

 

 その中で聞こえる人とのコミュニケーションの輪が広がっていった。

 

喫茶店 手話の会話がはずむ みんなのいこいの場 交流の場  酒 コーヒー

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手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

酒。

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 吞む・おでこ で酒を吞む 酒の手話。

 

 吞むと酔いがまわる=おでこ=頭。頭が心地よくなるの表現。

 

 酒にはいろいろな手話表現があるが、猪口に徳利で吞む酒の手話はとても情緒があり、色香が漂うものであった。

 

  女性と男性の手話表現には、その動きやしぐさが見られて驚くこともしばしばあった。

 

 京都の手話で「かまわない」「いいわよ(快諾)」の手話は、男性と女性では明らかに違っていた。

 

 吞んでおでこは、酔いすぎたという表現で、ほろ酔い、泥酔、楽しい酒などさまざまな手話がある。

 

 写真でおでこを手のひらで叩くと、酒を吞んで失敗、酒の上で失敗となり、ほんの少しの動きの中にその時の情景が籠められている。

 

コーヒー。

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 砂糖を混ぜるしぐさでコーヒーの手話。右手の形でコーヒーカップを現している。

 

 コーヒー、喫茶店。京都では数多くの店があり手話の会話が飛び交った。

 

 長時間、数時間もいて話が弾んでも喫茶店から追い出されることもなかった。もちろん、行きつけの喫茶店やたまり場は決まっていた。

 

 待ち合わせには最高の場所だった。店主もにこやかに対応してくれる店も多かったが、それらの喫茶店はもうどこにもない。

 

 

説明的な手話にこそ手話がろうあ者同士のコミュニケーションとして創造発展背景が コロッケ 京都の手話

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手話を知らない人も

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

 この連載を書いている訳の一つに手話が音声言語とは異なった視覚的言語とも言えるが、日本語でない、もう一つの言語と単純に決めつける人たちへの半鐘の意味もある。

 

 だが、最も知っていただきたいのは人はあらゆる困難を乗り越えてコミュニケーションを創りあげる素晴らしい能力を形成しているということである。

 

 人間の内的エネルギーとその「発露」に人がどんな場合に追い込まれてもその困難を包括して表現する能力の一つとして自他共に知っていただきたいからである。

 

 なお、以上の手話は最近、流行や規制されている一部のほとびとが人為的につくった手話ではない。

 

 以下のコロッケの手話も、コロッケが美味で高級品であった時代にろうあ者にコロッケとはなにかを説明して、それを示す手話で説明的な手話となっているがここにこそ手話がろうあ者同士のコミュニケーションとして創造発展してきた姿がある。

 

 この表現が、ろうあ者に理解されてごく一般的に食されるようになると説明的な手話は簡略化される。


  コロッケ。

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 ジャガイモ=馬鈴薯   馬(馬の耳)・塊・馬鈴薯の皮をむく・潰して・練って・高温の油に入れて・出来上がったもの。

 

 コロッケの製法の時代が読み解ける。

 

三時になると おやつ(お菓子) こしょう おやつ ろうあ学校 の 手話 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 100  もっと多くの手話があった 京都の手話

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

こしょう。胡椒。

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 ふりかける、くしゃみしそうになるで胡椒の手話。


おやつ。(お菓子・和菓子)

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 指三本を前に倒して三=三時。食べる。を合わせておやつ(お菓子)の手話(三時のおやつ時を示す。)

 

 この三時の時報を示す手話は、戦前からある手話表現で、一時、二時、三時の数字を前倒しして表現された。

 

 戦前、京都ろう学校で数字の手話表記は、以下のように表されて教えられてきた。

 

 

  1から5までは解ってもらえるだろう。

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 六は算盤の丸を表して漢字の形態、七は、算盤の丸を表して二本の指。八は、漢字の形態。九は算盤の丸を表して、四を表す漢字の形態を採りいれている。

 

 一つの丸で、10。二つの丸で100。千は空に千を画く手話。億は握り拳など、兆、京などあるが、10円、100円などは財布(右手を合わせて財布を表し。)から札を一枚(人差し指を右手を合わせて財布から抜く)などの表現も多い。

 

 1960年頃までは、タクシーは100の手話で横に走らせていたが、タクシー料金が100円だった時代の名残りだと言うが、物価の急速は変動はこれらの手話表現を打ち消していった。

 

 

 

違うように見えても共通性がある処まで深く考えないで手話を短絡的に単純に決めつけてはならない かしわ くじら 京都の手話

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手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー


  かしわ。

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 鶏の鶏冠と鶏の啄む様子を同時に示して、切るしぐさで「かしわ」の手話。

 

  鶏と捌(さば)くを組み合わせて手話表現していることから戦前からの手話表現だったことは解る。

 

  鶏肉のことを「かしわ」と言うが、その言われには歴史がある。

 

 くじら。

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 くじら(鯨)の手話は、いわゆる鯨の潮吹きを表現した手話である。

 

 鯨の背から息と共に生きよいよく飛び散る水しぶきを表してくじらの手話とされている。

 

 このくじらの表現について、各地で同じ手話表現があっていろいろと調べたことがある。

 

 宮城県男鹿半島の鮎川を訪ねたことがある。捕鯨基地があったがその地名の手話は同じくじらの手話だった。

 

 長崎も捕鯨で有名で郷土玩具にくじらが作られたり、くじらの歯の彫刻でも有名であったが、長崎でもくじらの手話は、潮吹きを表していた。

 

 手話には、地域的にさまざまな違いがあるが、宮城県と長崎のくじらの手話で表現する共通の基礎条件があると考えた。

 

 京都でそのはなしをしていたらもっと驚くことがあった。

 

 もうすでに亡くなられた京都北部の伊根に住んでいた未就学のろうあ者が身振り手振りでくじら漁の話をしてくれた時のくじらの手話が、やはり背中から潮吹きの手話(身振り)をしていたとの報告を受けた。

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 その未就学のろうあ者は、それまで他のろうあ者との接触や交流は全くなかったが、その後ろうあ協会の仲間や手話通訳者と出会って手話のを覚えていったとのこと。

 

  その未就学のろうあ者の話は、以下の通りであった。

 

 丹後の海を回遊するくじらを伊根湾に追い込んで、伊根湾の二つの島に網を仕掛けてくじらが逃げないようにして、仕留める、という話だった。

 

 丹後の伊根でのくじら漁を調べてみるとたしかに平安時代からくじら漁が行われていたという記録があった。

 

 宮城県の鮎川、長崎、京都の丹後の伊根。それぞれろうあ者の交流もなかった時代に同じ手話がされている。

 

 手話の違いが誇張されて強調する今日。私は、くじらという手話に籠められたろうあ者の見方や表現の共通性をもっと考えていかなければならないと思う。

 

 違いに目を奪われて、違うように見えても共通性がある処まで深く考えないで手話を短絡的に単純に決めつけてはならないと思う。

 

 

手話は生活や生産と結びついてその特徴を表現 柿 貝 京都の手話

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手話を知らない人も

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

柿。

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 近年観ることは出来なくなったが、冬になると子どもたちは赤いほっぺになることが多かった。

 

 その赤いほっぺを膨らませて熟した柿を表す柿の手話。

 

 右手の指の曲げ具合で柿の種類を表している。

 

貝。

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 貝の蓋を両手で示して、蓋を閉めて貝の手話。

 

 じつはこの貝の手話は、場所を表すことが多く、京都では大阪の貝塚と堺では手話表現が異なっていた。

 

 貝塚は、比較的平らな貝で表し、堺は手指を曲げて大きめの貝を表した。

 

 実際、大阪に行って調べてみると貝塚で捕れる貝と堺で捕れる貝には違いがあり堺の貝のほうが大きくそれぞれ特徴があった。

 

 しかし、堺の手話はろう学校に歯科技工士専攻科があったので、入れ歯をつくる時の石膏での型取りの両歯を合わせて表現されているとも言われてきた。

 

 あらゆるものがそうであるが、それぞれの地域でとれる農作物の特徴でその地域を手話で示した。

 

 大根などもその例である。大根にもさまざまな種類と形態があり、その土地、土地で収穫される大根の形で地名を手話で表した。

 

 滋賀県の地名の手話も大根で表すことが多く、あまりにも多いので農家をたずねてたしかめたことがある。

 

 手話は、生活や生産と結びついてその特徴を表現してきたことに感銘を受けた。