手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

決して忘れてはならないし、消し去ってはならない、胸に真のねがいが刻まれていた時代

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  手話を知らない人も

                   手話を学んでいる人もともに
  {続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  変えたのは ある特定の人物ではない

 

 1960年代末から1970年代初めにかけてろうあ協会は基本的人権の狼煙をあげ行動した。

 

 このことがその後の京都のろうあ者の意見を「拝聴する」だけの福祉行政から要求と基本的人権を守る福祉へと変えていった。

 

 変えたのは、ある特定の人物や誰かではない。

 

  さまざまな要求が

とめどもなく湧き出したが
  そのひとつが、京都ろうあセンター

 

 みんながそれぞれの力を出し切ってまとまり必死になって行動したから、変わったのである。

 

 このようにろうあ協会を中心にして様々な要求が、とめどもなく湧き出しそれぞれがそれぞれていねいに吟味され実現されていった。

 

 そのひとつが、京都ろうあセンターであった。

 

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   京都ろうあセンター

難事業のリーダー明石欣造さん

 

 その初代所長が、明石欣造さんだった。京都ろうあセンターの事業を統括し、維持発展させる難事業のリーダーだった。

 

   一人ひとりのみなさんの願いが

   瞳に籠められて要求
 決して忘れてはならないし
  消し去ってはならない

 

 以上の少しだけしか述べられていない経過ではあるが、京都ろうあセンターは、ろうあ者、家族、親類、地域のみなさん、職場の同僚やあらゆるろうあ者のみなさんと関わりがある人々を核となってそれまでのすべての思とねがい一杯こめられて開所され創られてきた。

 

 そのことに心からの敬意を消すことは出来ない。

 

 心からみなさんに心の底からお礼を述べたい。

 

 一人ひとりのみなさんの願いが瞳に籠められて要求されたことは、決して忘れてはならないし、消し去ってはならない、みなさんの胸に真のねがいが刻まれていた時代と今を。

 

ろうあ協会の要求は切実で「利権を求めている」「嘘偽り」はなく行政が行政として果たさなければならないことを言っている

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  手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
  {続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

課長が少しでも本筋からそらそうとすると

 

 ろうあ協会のひとり一人の発言にみんなはうなずき拍手の連続。

 

 京都府の担当課長が少しでも本筋からそらそうとするとすぐ、「ちがう」「そうじゃない」「おかしい」と言う意見が続出してろうあ協会の参加者の手が次々と挙がり、私も言いたい、僕も言いたい、と途切れることはなく会場の時間が切れてもみんなは帰ろうとしなかった。

 

 終電、終バスになっても誰も帰ろうともしない。

 

 その熱気や要求内容は、それまでがまんにがまんを重ねてきたろうあ者のすべてを現したものであった。

 

   ろうあ協会の要求は切実で

「利権を求めている」「嘘偽り」はなく
行政が行政として果たさなければならないことを言っているのだ

 

 ここまで来ると、京都府はもちろん各市町村はろうあ協会の要求は切実で「利権を求めている」「嘘偽り」ではなく、行政が行政として果たさなければならないことを言っているのだ、ということが浸透し初めて行った。

 

 長く苦しく辛い生活の中で学び、助け合い協力して、意見をまとめあげたろうあ協会とろうあ者のみなさんの歴史が根底から変革する第一歩の記念すべき日々がはじまった、と言ってよい日々だったと思う。

 

  蜷川知事は、京都府議会の手話通訳要求に対して、ただ口を見ていればいいのではないと言い、ろうあ者の生きがいのある生活を提起した。

 

 それ以降のことは、あまり知られていないが、知事の発言は年一回雉の放鳥を聾学校の生徒としていることだけへの反省もあった。

 

 知事が、公務で府庁から出かけようとした時、偶然、聾学校幼稚部の生徒が府庁見学に来ていたが知事は公務を延ばして生徒たちを知事室にまねいて懇談した。

 

 その貴重な写真をSTさんから提供していただいたので掲載する。

 

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このようなことは、一度私も見たことがあった。

 

 あわてる秘書課長と笑顔のろう学校の生徒と知事の様子はごく自然なものであった。

 

相手が言うことが回答になっていなければすかさず言える手話でのコミュニケーション形態の変化

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
  {続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  同じことばかり言っている
   そんなことを聞きたいのではない

 

 ろうあ協会との交渉で京都府の担当課長がだらだらと話し続ける時間稼ぎ。

 

 ろうあ協会の人々が手を挙げて

 

「同じことばかり言っている。私たちはそんなことを聞きたいのではない。」

とだらだらした話を止めさせた。

 

 そして「京都府の回答を通訳する手話通訳者とろうあ協会の要求を通訳する手話通訳者の二人として欲しい」ということが通った。

 

   行政側とろうあ協会側でない

   二人の手話通訳

 

 京都府の回答を通訳する手話通訳者とは、京都府側にたった手話通訳をするということではさらさらなかったし、ろうあ協会の要求を通訳する手話通訳者もまた同じであった。

 

 この二人の手話通訳が認められると、課長が同じことを言とすかさず、その話は同じでさっき聞いた私たちが言っている回答ではない。とすかさずろうあ者は言う。

 

 次々と言うと課長は回答出来なくなり、時間の引き延ばしが出来なくなった。

 

 よく考えて欲しい。

 

 相手が言う、それに対して言うというコミュニケーションは成立するが、相手が言うことが回答になっていなければすかさず言える手話でのコミュニケーション形態の変化。

 

 無駄な時間がなくなり
        本質に迫る交渉

 

 結果的に無駄な時間だけが流れる交渉ではなく本質に迫る交渉となっていった。

 

 さらに、次の交渉になると今度は、ろうあ協会のある会員が、「手話通訳を休んでください」と言い、手話で話し続けて、課長、私の話が分かりますか、と問いただした。

 

 課長はただポカーンとして見ているだけだった。

 

   手話通訳休んでください
    手話通訳始めてください

 

 次に「手話通訳始めてください。課長、私の言っていたことは、こういうことなんです。」と手話で話してコミュニケーションが成り立つことが行政に私たちの要求を出す第一歩なのだと追求した。

 

 この話を聞いて課長はうつむいてしまった。

 

 さらにろうあ協会の要求に応えられないと言う課長に対して、今までの知事の挨拶文やメッセージを示して「知事は、みなさんのご要望に出来るだけ応えると言っているではないの。あなたは、知事の言っていること、言ってきたことを否定するんですか、」と迫った。

 

あっさり認めたのは大ちょんぼであった、と京都府課長のつぶやき

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 手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
  {続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

陳情するから団体交渉へ 
 おねがいから要求へ

 

  ろうあ協会の要求は、役員が行政に陳情するという形態から集まれるろうあ者が参加して行政と交渉する「団体交渉」に変化していった。

 

 この団体交渉は、行政への要求を突き詰めるだけではなく、参加したろうあ者がみんなの要求と自分の要求を練り合わせて学ぶ場となった。

 

  手話も「おねがいする」「話し合う」から「要求する」「みんなが話す=手のひらを水平にして手指を動かす=交渉」「行政の担当者と交渉するよう」になっていった。

 

 この場は、とても大切な「場」であった。

 

  なかなか交渉に応じなかったが

 

 行政は他の障害者団体と異なり陳情ではなく、交渉というろうあ協会に対して極端な「毛嫌い」をして、なかなか交渉に応じなかっただけでなく、たとえ交渉が開かれてもなんとか時間を引き延ばして、時間切れを図ろうとした。

 

 ろうあ協会が要求を言う。

 

 その項目ひとつひとつにくどくどと言い訳めいた説明をする。

 

 京都府との交渉の時だった。

 

   京都府の回答を通訳する手話通訳者と
ろうあ協会の要求を通訳する
  手話通訳者の二人として

 

 課長の意味不明な同じことの繰り返しのだらだらした回答にあるろうあ者が手を挙げて、「京都府の回答を通訳する手話通訳者とろうあ協会の要求を通訳する手話通訳者の二人として欲しい。」という言った。

 

 京都府の課長はあっさりれを認めたが、それは課長の目論見を打ち砕き、ここからそれまで通りの話し合いではなくなっるとは思いもしなかったようである。

 

  あれは大ちょんぼだったと笑顔で語る

 

 後日、課長は「京都府の回答を通訳する手話通訳者とろうあ協会の要求を通訳する手話通訳者の二人として欲しい、と言われたことをあっさり認めたのは大ちょんぼであった。」と言ったがそこには笑みがあった。

 

 行政担当者としては嫌で苦しいけれど、結果的にいい政策が打ち出されたならばそれはそれで大きな喜びでもあったからである。

 

 ろうあ者も変わり、行政担当者の考えも変わる。

 

 この時代は、目立たないが大きな胎動が生じていた。

 

「ろうあ者の基本要求」に基づく要求実現のための妥協なき激しい要求運動が怒涛の勢いで

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 手話を知らない人も

       手話を学んでいる人もともに
  {続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

   

「かしこい」ということから
  「みんながかしこくなる」

 

 ろうあ者成人講座の前と後の繰り返しの中で「まねる」から「学ぶ」となって、それがみんなの頭の中にしっかり覚えられていったのである。

 

 学ぶという言葉の語源は、まねる、ということを考えるとまねる=学び合うと一層みんなの笑顔が輝いて見えた。

 

 学び合いの中で、誰がかしこい、などという考えは徐々に消えていった。

 

「かしこい」ということから「みんながかしこくなる」と変化したのである。

 

   血が通う手話が産まれる

 

 それまであった「ねたみ」「しっと」「悪口」が様変わりして。手話表現に血が通い始めた。

 

 ろうあ協会の要求運動が進むにつれ、「学び合う」「教え合う」ということはみんなをまとめるだけでなくみんなの知恵の結晶となって不動になっていった。

 

    ろうあ者の基本要求作成

 

 そこから「ろうあ者の基本要求」が作成される。

 

 この基本要求を今、読み直してみても実に簡素化であるがこれだけ素晴らしい要求が、みんなで練り上げられたことに対してろうあ協会の方々に惜しみない拍手を贈りたい。

 

 この「ろうあ者の基本要求」に基づく要求実現のための妥協なき激しい要求運動が怒涛の勢いですすめられる。それまでの涙と汗と血を練りあげながら。