手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

京都の 手話サークル 手話通訳 は理想的と言う人々への現実的回答 第三回手話通訳者会議1970年

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手話を知らない人も

                   手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

司会者

 

 まだ県とか市から補助金をもらっていないサークルはこの通訳者会議の情報を交換して一日も早く助成金を獲得したいものですね。

 

京都は理想的でないとする理由

 

 京都は理想的とする意見は、この時期相次いで出されてきた。このことについて検証を試みてみると「理想的」とは、あまりにもかけ離れた現実があった。

 

 ただ、一定の前進的な取り組みがすすんだ背景を検証してみると主に以下の点があげられる。

 

1、ろうあ協会・手話通訳団が、各独自の学習を精力的に進めつつ、合同して意見交換と一致点を見いだしていたこと。

 

2、1の上に行政交渉を進めたが国・行財政制度とその矛盾を総力を挙げて学習し、国・行政の回答にすべて反論するすべを準備していたこと。さらに、反論だけに留まらず、国・行政が本来なすべきことを提起し、その実現を迫るだけの力量を備えていたこと。

 

4、以上のことを包み隠さず、すべての人に公開し、共同行動が出来ることを絶えず求めもとめ続けたこと。

 

などがあげられる。

 

 ただ、京都府京都市・各市町村の財政状況は、他の都道府県に比べ極めてよくない状況であった。

 

 当時「富裕」とされた、大阪、東京都とは比較にならない程であった。

 

 特に東京都の予算は、当時から諸外国の国家規模の独自予算であり、東京都が後に手話通訳派遣のための予算を組んだときは驚きを禁じ得なかった程であるが、京都と東京では手話通訳保障の基本的考えは異なっていた。

 

 そのためしばしば論議と論争が行われたが、東京都という都政は、道府県とはまったく異なった行政であった。

 

 京都は予算措置との比較だけでなく手話通訳者の位置付けを重視した点で少しばかり、他の都道府県と違っていたにすぎない。

 

手話 を学ぶ人々が飛躍的に増え始める時期 第三回手話通訳者会議1970年

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

各行政は従来考えられなかった
  手話や手話通訳を受け入れたが

 

第三回手話通訳者会議

  1970年 5月2日ー3日 東京

 

  1970年代になると手話サークル、手話通訳は全国的な広がりを見せ始め、年毎にその裾野と考えの深化がすすみながらも一つのまとまりではなく分化がはじまる。

 

 その契機が、この第三回手話通訳者会議の特徴であったとも言える。

 

 同時に系統的に手話通訳の研究・学習・交流をすすめる全国組織の形成が提起される。

 

 この時期は、ろうあ協会と各手話サークルが行政との対話や交渉を進め飛躍的に手話を学ぶ人々が増え始める時期である。

 

 このことが、後のバブル期(1980年代後半から1990年代初頭)と結びついて各行政は従来考えられなかった手話や手話通訳を受け入れる。

 

 バブル崩壊(1990年代初頭)以降は、極端な予算削減によって各行政のろうあ者福祉や手話通訳が消し去ろうとする。

 

 それを許さない歴史が、1970年代に見受けられる。

 

手話サークルの名称に
  それぞれの思いが籠められて

 

参加手話サークル

 

麦の会(大分県) みみずく会(京都) 手話サークル(群馬県) サークル「道」(福井県)よろず会(静岡県) とちのわ会(栃木県) 和歌山手話研究グループ(和歌山県)  はぐるまの会(愛知県)  札幌手話の会(北海道)  スクラム(青森県) 天理教手話グループ(奈良県) 東京手まねを学ぶ会(東京) こだま会(東京) 東京手話通訳研究会(東京)  ひまわり会(横須賀)  たつの会(横浜) 葦の会(神戸)

 

   その他(参加者数69名)

 

通訳者会議  提起問題

 

1. 県や市が手話通訳者養成に補助金を出しているか2,サークルの情報交換
3.連絡会の設立
4.ろう者との交流
5,わかりゃすい手話
6、奉仕から連帯活動へ
7、全国手話統一
8、 通訳者の位置づけ
9、手話の講習会 
10手話の専門語
11. 口語教育と手話教育


すすむ行政の手話サークル・手話通訳補助

 

司会者

 

 午前に出された問題にっいて検討し討議したい。

 初めに県や市から補助金を出してもらっているサークルはありますか。

 

頂(神戸)

 

 神戸の場合は44年からもらっている。市から5万円で会で自由に使つている。

 大会などの時は別に2千円から3千円もらう。補助金がない時は交通費など自已負担であったが今は5万円の中から実費を支払つています。

 

谷(京都) 

 

 41年から市から10万円,府から2万円,それとろうあセンターに対しての手話通訳事業として百万円の助成金をもらっている。

 

手話通訳料は1時間1,650円と決めてある。

 

 他に団体の助成として約30万円位はもらっている。

 

行政からの補助の拡大と現実

 

司会者

 

 京都は理想的ですね。次に栃木県お願いします。

 

栃木

 

 サークルに対しては助成がありません。

 

 社会福祉協議会で手話講習会をやっている。

 

横須賀

 

 45年度から年間3万円もらっている。これは手話サークルのひまわり会にです。

 

群馬

 

 群馬ではろうあ協会の助成金の中からサークルに対して八千円もらつている。

 

  6月から7月にかけて福祉関係の人に手話講習会を行う。

 

予算は 4万円でやる。

 

田中(横浜)

 

 横浜のたつの会では一応ろう協の予算の中から4万、それと何か大会がある時は援助してもらっている。

 

 通訳をした時は別に謝礼としてもらっている。

 

斎藤

 

  奈良県では社会福祉協議会からもらっている。

 

ろうあ団体との一緒の活動がなければだめだと思う。

 

 

ろう教育が発達してくると手話も豊富に  第2回全国手話通訳者会議1969年

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手話を知らない人も

              手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

司会 

 

   現在の学校教育のロ話法も混頓としている状態である。学校のねらいも変つてくると思う。

 

伊東  

 

  ろう教育が発達してくると、手話も豊富になり、 たのしいものになるのではないだろうか。

 

藤谷  

 

  手話については、 学校の先生も便利なときは手話を使つている。

 

 指文字、口話教育においても否定できないと思う。

 

 授業の中で使ってている。

 

  指文字は生かされる面が多いので、考えていくぺきだ。

 

 相手によって使いわけていくべきだ

 

野沢  

 

 ケースワ一カーの立場からいうと、貞広先生のいわれたように、相手によって使いわけていくべきだと思う。

 

司会

 

 いろいろとお話しがでましたが、時間になりましたので、今日はこれで終りたいと思います。

 

  ろう教育が発達してくると

        手話も豊富になるとする実践

 

   ろう教育が発達してくると手話も豊富になり たのしいものになるのではないだろうかと、伊東雋祐氏は発言しているが、この考えは1950年代から京都の中で熱心に論議されてきた意見の断片である。

 

 だが、伊東雋祐氏は「ろう教育が発達してくると手話も豊富になり たのしいものになるのではないだろうか」という教育の考えを実践的に立証出来得なかった。

 

 1980年代後半になると京都ろう学校に新採の教師が多く採用され、それまでろう学校での教育は「不可能」とされていた各教科ごとの実践を創造的に創りあげ、それまでのろう教育の限界とされていた教科教育を打ち破っていく。

 

 残念な問題はその若手教職員の実践を評価するのではなく、経験値だけで若手教職員を批判し、京都のろう学校からほぼ「追放」と言っていい事態が引き起こされてしまう。

 

 そのため、「ろう教育が発達してくると手話も豊富になり たのしいものになるのではないだろうか」という問題は消え去ったかのようにみえるが、今、新たな教育実践が模索されている。

 

 

わからない手話通訳をやつてもなんにもならない 第2回全国手話通訳者会議1969年

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手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国の手話を考えた
 上に立つて手話研究をやるべき

 

寺山  

 

  指文字に関して

 わからない通訳をやつてもなんにもならない。

 

 貞広  

 

  指文字をどのような立場で教えるか。

 指文字の間題は、アメりカでは、頭のよい人は指文字を多く使う。

  手話はあまり使わない。

 相手を見て使つたらどうか。

 全国の手話を考えた上に立つて、 研究をやるべきではないか。

 

手話だけでなく 口を使いながらもやって

 

 司会  

 

  たくさんの人が集つた場合、最底の人を基準にしてすぺきではないか。

 

 方法はそのとき、そのときで選択されるべきではないか。

 

 手話だけでなく、口を使いながらもやってもらいたいという声もある。

 

戦前の人の手話
 戦後は口話や指文字を使う

 

坂本  

 

  自分の経験の中からも思えることだが、協会の中においても、段階がある。

 

 ろう者間の中でも通訳がいるということもある。戦前の人の手話、 戦後は口話や指文字を使う。

 

 難聴はわからない。

 

  話す人は4つの方法を使わなければならなくなる。

 

 学校の中においてもも、 授業中は使わないが、 廊下で小さい子供がやつている。

 

 学校でロ話法をやっても、社会に出れば手話を使うようになる。

 

 地域によつて違うので苦労する。

 

 第2回全国手話通訳者会議では、机上の手話や手話通訳の論議ではなく現実にろうあ者が使っている手話表現を前提に話し合われているが所以に教訓に満ち溢れている。

 

  指文字の評価=アメリカのsignを変形した日本の指文字への問題も多く指摘されてきた。
 
 「アメりカでは、頭のよい人は指文字を多く使う」 という指摘は、アメりカの一部の手話や用語を日本に機械的に導入する現代の「手話論者」への予想した批判であるとも受けとめる事が出来る。

 

「手話だけでなく、口を使いながらもやってもらいたいという声」というろうあ者の意見も無視してはいけないものとして受けとめ手話通訳されてきているが、それはろうあ者の本音を受けとめた立場を貫いている証でもある。

 

 「何でも手話でこそ」と形式的に述べる現代の「手話論者」への予想した批判であるとも受けとめる事が出来る。

 

   ろうあ協会の中においても、コミュニケーションに対する段階がある、と理解出来る意見も現代に通じる事項として留意すべきことである。

 

 

新しい手話 丸山浩氏が整理・提案 手話通訳者 が決めるのか ろうあ者がつくるのか それとも両方で話し合うのか  第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

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手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

地方による新しい手話の創造

 

司会 

 

   ろう者自身が発展しているところもある。

 ろうあ協会主催の研修会、学校を借りる等間題あるが、 集つた入はあまり手話を知らないろう者のであった。

 地方によって新しい手話が作られ、指文字が出てくる。

 

ろうあ協会の幹部は指文字が解るが

          ‥‥‥限界がある

 

丸山   

 

 幹部の入々は、手話と指文字をミックスさせて使う。

 

普通のろうあ者には新しい指文字を使つてもわからない。

 

 指文字には限界があると思う。

 

 話せる人の場合けわかるが話せない人は、長いときなどはわからない。

 

若い人はわかるが 中・老になるとわからない。

 

 何を使つたら一番わかりゃすいのか。

 

今井  

 

  ロ話教育を受けている入は、 話しながら指文字を入れてくれという。

 

  新しい手話・単語を作る人は誰か

 

笠置  

 

  やはり、若い人達が知つているようにかえていくべきだ。指文字をぜひとり入れて
全部がやれるように、世界的に交流するのに必要,のではないか。

 

丸山  

 

  新しい単語を作る人は誰か。

 

 通訳者が新しい手話を会議で決めるべきか、 ろうあ者が作つていく手話をやるのか。

 

 両方で話し合つていくべきか。

 

  どういうふうにするのか。

 

 時期はどうするのか、  1年に1度にするか、2度にするか。

 

伊東  

  

 3つの立場を全部やつてきめていくようにしてもらいたい。

 

この論議は、その後の歴史的経緯を見ると活かされてきたとは言いがたいのではないか。

 

 真摯な意見が、生かされてはいない。

 

丸山浩氏の新しい単語を作る人は誰か。通訳者が新しい手話を会議で決めるべきか、 ろうあ者が作つていく手話をやるのか。両方で話し合つていくべきか。どういうふうにするのか。時期はどうするのか、1年に1度にするか、2度にするか。

 という問題整理は、充分整理検討されることなく「新しい手話」なるものがつくられていくが、丸山浩氏の提起は先駆的意味合いを持っていたと今では言える。

「全国で通じあえる手話」とは現在の新しい手話や手話テキストに掲載された手話で通じあうのではない 第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

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手話を知らない人も

      手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

活動をふり返つて
 それをどうかえていくか

 

「みみずく会」     

 

  京都では「みみずく会」とろうあ協会の活動の結果、専門手話通訳者がおかれるようになった。
 
 1人。3万円。

 ケース・ワ一カーと通訳者とは、一応立場を切つていくへきではないか。

  個入の個々の活動の中では、ろう者の立場に立ち切つていくことには、むずかしいことがある。

 グルーブの中で話し合つて、活動をふり返つて、それをどうかえていくかということを話し合つていくとよいと思う。

 

自分の考えを
 入れないようにする通訳

 

野沢   

 

 裁判の弁護士について

 

普通の人には、 弁護士を選ぶ権利があるがろう者には警察の指定したひとを選ぶことなってしまう。

 

笠置  

 

  非常にうまい通訳者があるが、ろう者の自主性が失なわれないかという危惧がある。

 

 通訳者は、自分の考えを入れないようにすることが必要ではないか。

 

 ろうう者の世話を。
 ケースワーカ一的に疲れてしまうまでやつてしまっている人がいるが、 奉仕者では、人権等をいわれるとついていけなくなってしまう。

 

いわれたように通訳を

    することはむずかしい

 

 福島  

 

  通訳をするとき、2つの立場がある。

 

 いわれたように通訳をすることはむずかしい。
 通訳者が考えてしなくてはいけないが、両者の中味をはっきりとらえて伝える。
 自分の考えを入れないで、公正にやる。
 ろう者だけの立場に立つていると正しく伝えられない。

 

行政が手話通訳者を育てて

 

司会  神奈川から出されている、 行政が手話通訳者を育てていく、 システムを広げるということになっていかないと、こういう会にも出にくい。 この件について。

 

西

 

  1年くらいしかなっていないので話せない。

 

 交流ぐらいだったらポランテイアでもやれるが、通訳者としてやつていくのには技術的にも無理。それは、公の機関でやつてもらいたい。

 

 プロ(通訳者)を養成する機関が欲しい。 資格も欲しい。

 

手話通訳の専門と
ろう者と手をっなぐ人が多く必要

 

伊東

  

 イギリスの例では、大学卒で、1年研修するという制度がある。 日本では專門職が少ない。


  しかし、専門職がとれても、どういうことをやるのかむずかしい問題。

 

  專門職ができた場合、かえってやりにくいことができてくるのではないか。 非常に繁雑になる。

 ろう者が健聴者をたよつてしまうことがある。

 

例  新採用の入の研修会で通訳を欲しがった。そのとき、通訳者をすぐに出すべきか、問題あり。自分で仲間をつくっていくべきだ。

 専門職をっくると共に、ろう者と手をつなぐ人が多く必要である。 それもろう者が自分でつくっていくということが大切だ。

 

笠置  


  少し過保護的な面がある。

 

何でも手話通訳者が請け負うことへの疑問

 

  伊東雋祐氏の手話通訳の専門とその問題は、伊東雋祐氏が教師でないため充分承知していない問題である。

 

 伊東雋祐氏は、京都のみみずく会手話通訳団会議で話されたことで発言している。
  「專門職ができた場合、かえってやりにくいことができてくる」というのは、当時の行政姿勢と関連して手話通訳者の手話通訳に対する自由度がかなり制限されることと合わせて考えて行く必要がある。

 笠置氏の「少し過保護的な面がある」という指摘は、何でも手話通訳者が請け負うことへの疑問でもある。

 

 この時期で注意して考えなければならないのは、手話を共通した統一した、ある意味画一した手話でなければならないと参加者が発言していることに注視しなければならないだろう。

 

  「全国で通じあえる手話」とは、現在のような、新しい手話や手話テキストに掲載された手話で統一するのではない「通じあえる手話」なのである。

 

 そこには、時間と多くの交流の積み重ねによる「通じあえる」意味が籠められている。

 

丸山浩路氏 プロ手話通訳宣言の本音と苦悩 第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

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手話を知らない人も

                  手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

ろうあ者の権利か

 手話通訳者の位置づけかの分岐

 

司会(京都ろう学校教師)   

 

  この会議に出席することについて、私の場合、学校からの出張の形になることができたが、 主に自已負担が多い。

 

 中には民生関係の仕事の人は、旅費を出してもらっている人もいる。(厚生省の方で出していたので)

 

貞広(厚生省)

 

 それに関しては、行政的にいうと、県の関係者にそういう人がいたらよろしく指導してくれとという通知を出している(自分には関係ないという声あり)

 

ろうあ者には通訳者も
 はっきり認められていない

 

丸山   

 

 ろうあ者の通訳は、非常に必要である。

 

 盲人の場合は、 大部分は保障されているが、ろうあ者には通訳者もはっきり認められていない。

 

 今までは、ろうあ者の立場で権利を主張していたが、今からは通訳者のプロがあってもよいと思う。

 

丸山浩二氏
ろうあ者の権利を主張することから決別

 

 丸山浩二氏は、この1969年からろうあ者の権利を主張することから決別して手話通訳者のプロもあっていいと強調し始める。

 

 プロとは、職業上の、その分野で生計を立てている、公認や専門家という意味合いも含まれている、

 

 その意味では、行政における専任手話通訳者もプロとも言えるし、公認手話通訳者の場合もプロとも言える。

 

 だが丸山浩二氏の「プロ」の意味は、「今までは、ろうあ者の立場で権利を主張していたが、今からは」という発言から解るようにろうあ者の実態と切り離して、行政などの公的機関などをあてにしない、行政と切り離して、自分で自分を「公認」してあえて「手話通訳者のプロ」であると言う意味である。

 

 彼の行動は、その後神奈川県内でもさまざま批判されることになるが、行政の縛り、遅々としてすすまない通訳の理解や保障の中で、孤立してでもその状況を切り離して手話通訳のプロを模索するという意味合いを持って牽引する方向を示唆していた。

 

 見えないが、漠然として描かれている手話通訳者の軌道から離れて、自分の軌道を描くことによって手話通訳を広く認知させていくという意見でもあった。

 

 このことは、丸山浩二氏自身が手話通訳をするにあたっての複雑な「真綿で首を絞められる」ような状況に対する丸山浩二氏の決別宣言であった。

 

 このことへの評価は当時さまざまであったが、現実問題としても結果的にも丸山浩二氏は、手話通訳として生計をたてることは困難を極めた。

 

 だが、この時代のパイオニアとしてNHKのキャスターとなってからは全国的に名が知られ、各地の講演やドラマの手話指導や本の出版などで生計がたてられた、と回想していた。
 
 彼の講演謝礼は、高額であったが彼は「プロ」である以上は当然としながらも内実は戸惑いもあったが心を許せる限られた人にしかその真相を吐露することはなかった。

 

 あえて「プロ」ということを前面に押し出すことで、手話通訳の位置やさまざまな柵から脱しようとする意図があった。

 

 だが彼は、手話を面白おかしく広めるようなことは決してしなかった。

 

 それどころか、ろうあ者の手話をどこまでも大切にして、多くの人々に手話の意味合いと魅力と手話表現にあるろうあ者の人々の生活や暮らしを受けとめ続けていた。

 

 その点では、手話通訳の方向やあり方についての意見の相違はあったが手話と手話通訳については何ら相違はなかった。

 

 丸山浩二氏とは、意見相違で論争したが決して対立関係はなかった。

 

 彼の良心は、時代のパイオニアとしてNHKのキャスターとなってからは全国的に名が知られ、各地の講演やドラマの手話指導や本の出版などで手話と手話通訳を社会的に認知させた。人間的にも高く評価される人である。