手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

交渉して 行政に独自のろうあ者福祉を  第5回全国手話通訳者会議1972年

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

第2部     第1 分科会    手話通訳間題について

 

「手話通訳の行政保障について 」  提案一京都一   (2)

 

3、 地方自治体にお,けるろうあ者施策の実態

 

すすむ地方自治体交渉
 地方自治体のろうあ者福祉事業

 

(1)  手話通訳保障に対する取りくみ

 

 ろうあ者の市民運動がすすむ中で地方自治体交渉がなされ、その具体的な成果が地方自治体の単独事業として位置づけられている。

 

 手話通訳配置についての要求は、

 

①  幅託員として配置する

②  手話の可能な身障相談員として

③  身障福祉の事務担当者として配置する

 

などであり、いずれも制度化の点から間題が残されている。

 

国は認めない
ろうあ者の補装具または日常生活用具

 

(2)  その他のろうあ者施策

 

 手話通訳要求の他、ろうあ者施策としては、 ベビーシグナルの賃付、給付の事業があるが、これも国がろうあ者の補装具または日常生活用具として認めていないので、各地方自治体で充分ろうあ者の要求をとりあげ、国に向けた運動がなされるようにする必要がある。

 

 また、ろうあ会館およびろうあ者の集会所(利用施設)要求についても取り組みがすすんでいるが、 著しい発展はない。

 

行政の貴任で手話通訳保障8名

 

(3) 京都における府・市のろうあ者施策

 

 京都における民主府市政の発展の中ででろうあ者も市民府民のひとりとして、コミュニケーション保障を中心とした専門的施策をすすめている。

 

① 手話通訳を行政の貴任で保障すること

 

府の公務員として1名
市の公務員として1名
ろうあセンターの専任として府2名・市2名
府下の各市(今のところ2市)に2名
計8名

 

ろうあ者の諸問題を

   受けとめるセンターづくり

 

②ろうあ者の諸問題を受けとめるセンターづくりとしてろうあセン一が建設されている。

 

・生活相談事業
・手話通訳派遣事業
・生活訓練事業
・聴覚・言語訓練事業

 

府市の公費負担 運営費が約1000万円になっている。

 

手話通訳の保障 はどこまですすんだのか 手話通訳者からの提起の現状と問題と批判 第5回全国手話通訳者会議1972年

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  意見や批判の自由のなかにこそ

 

  日本ろうあ連盟が、厚生省の助成による「手話奉仕員養成事業」を成果と前進と評価し、手話通訳活動は聴覚障害者の要求や連動(全日本ろうあ連盟?)に対立したり、干渉したりすることはできない、とする考え。

 

 そのうえに「われわれはすべての手話学習者、通訳活動者がこの立場を貫けるよう援助、協力し、必要があるときは批判してゆくことが重要と考える」とすることに対して、京都では「全日本ろうあ連盟が必要があるときとの場合だけ批判してゆくことは双方のためにならない」として全日本ろうあ連盟が必要があると考える場時以外でも意見や批判をするのが双方のためだと考えられた。

 

 以下、「手話奉仕員養成事業」の評価などを注視して行きたい。

 

第2部     第1 分科会    手話通訳間題にっいて

 

「手話通訳の行政保障について 」  提案一京都一   (1)

 

ろうあ者が健聴者と共に
主権者として国民的諸権利を享受すること

 

1、 ろうあ者の手話通訳要求について

 

 手話通訳者は、ろうあ者の生活と権利を守る担い手として、まず、ろうあ者の手話通訳要求について正しい認識と展望をもつべきである。

 

(1) ろうあ者の意志伝達および情報の聴取を保障する最も基本的な要求であること。

 

(2) ろうあ者が健聴者と共に主権者として、その国民的諸権利を享受することを具体的に保障するものとしての要求であること。

 

 従つて、これらの基本的な伝達保障の要求は、「手話のできる福祉司」とか「手話のできる相談員」としてすりかえられてはならない。

 

 独自に専門的に制度化されるべきである。

 

身体障害者書者福祉法は
 ろうあ者の要求である

  伝達保障を規定していない

 

2、国のろうあ者福祉の実態について

 

 身体障害者書者福祉法におけるろうあ者施策について追求すると、まず最も基本的なろうあ者の要求である伝達保障について規定されておらず、このことがろうあ者の福祉を専門的に追求し得ないいことになっている。

 

(1)   身体障害者福祉法にみるろうあ者施策

 

◎ 更生のための相談を受けとめる第一線機関である福祉事務所において、ろうあ者とのコミュニケーションが充分に保障されていない。

 

◎  ろうあ者更生援護施設についても、現状下のろうあ者の生活ニードに応じられていない。

 

◎  更生相談所において、ろうあ者に対する専門的、科学的な総合相談・判定の体制がない。

 

手話奉仕員養成事業
  ろうあ者の手話通訳要求に
   基本的に答え得るものではない

 

(2)  手話奉仕員の養成事業                   

 

 昭和45年にろうあ者の要求運動に応じる形態のもとに、実施された養成事業については、

 

①  ろうあ者の手話通訳要求に基本的に答え得るものではないが、全日ろう連の手話通訳、要求運動に一歩譲歩して実現させた点で評価する。

 

② ろうあ者に対する、殊に手話について一般健常者の関心の高まりについて評価すぺきだ。

 

③  数多くの手話サークを全国各地に実現させた。

 

などの評価すべき点があります。

 

今後の課題として、

 

①  手話サークル活動の中味がろうあ者の手話通訳要求にどこまで応じ得るか?

 

②  奉仕員養成事業を具体的にその地域の自治体の責任でどう発展させるか?

 

③ サークル活動における手話学習と奉仕員養成事業の手話学習をどう結びつけるか?

 

などの点を全国的に状況を出し合い考えて行くべきである。

 

手話 はろうあ者のことばであり ろうあ者がその生活の中からつくり出し整理し  統一してゆくものであるという基本的な認識を確立させる 第5回全国手話通訳者会議1972年

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手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
 
  手話通訳にっいての当面の方針  (その2)

 

組験的なとりくみが必要
  正しい立場に立つた手話学習
  手話通訳活動をひろげるため

 

(2) 手話学習・手話通訳に対するとりくみ、正しい立場に立つた手話学習、手話通訳活動をひろげるためには、組験的なとりくみが必要である。

 

 そのために、手話サークルを全国のすべての府県につくることが必要である。「手話奉仕員養成事業」による府県主催の手話講習会は、手話をひろめ、ろうあ者に対する一般の理解を深めるという点では正当に評価する必要があるが、これを手話サークルに代えるという考え方は不十分であると考える。

 

 第2に、手話を学ぶことがすぐそのまま手話通訳にむすびっくわけではないという点から、通訳養成、通訳活動の向上にどうとりくむか、ということが、今後のわれわれの大きな課題となっている。

(手話請習会はもちろん、手話サークルも、この課題に直接応えることは困難である。 )

 この点、理論的には、通訳活動者の組織が必要とされている、ということができる。
しかし、現状では、この問題はさまざまな矛盾をかかえており、今ただちに実行にうつすことには疑問があり、さしあたっては、各ブロツクろうあ連盟の主催のもとに、ブロツク単位による通訳者会議を開催し、そのつみかさねの中で方向を明らかにしてゆくのが正当であろう。
 この中からでてくる通訳活動の集団的なとりくみ、組織的な規律が、これからの通訳活動を前進させ、通訳活動者を養成する基盤となるであろう。

 

「同時法」による手話を「統一」

  させようという考え方には反対する

 

(3)  手話の研究

 これらと同時に、手話の研究、発展もまた大切な課題である。

 

「私達の手話」I・Ⅱをたたき台として、手話の構造となりたちを分析し、発展させてゆく必要がある。

 この場合、手話はろうあ者のことばであり、ろうあ者がその生活の中からつくり出し、整理し、 統一してゆくものである、 という基本的な認識を確立させる必要がある。

 

 この点、いわゆる「同時法」による手話については、われわれは深い関心をもつものであるが、これは当面あくまで教育の方法であり、従つてこれをそのままわれわれの中にもちこみ、それによって手話を「統一」させようという考え方には反対するものであることを明らかにしておきたい。

                                                                                                                                                      (了)

 

手話通訳 に対する 方針か提案か 第5回全国手話通訳者会議1972年

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
 

あくまでもろうあ者の団体である
   全日本ろうあ連盟の考えとして

 

  第5回全国手話通訳者会議1972年において日本ろうあ連盟が「手話通訳に対する連盟の基本方針」が出されたことについて評価している。

 

 あえて言うならば、これはあくまでもろうあ者の団体である全日本ろうあ連盟の考えであって、ろうあ者全体の意見を網羅したものではないだろう。

 

 また「手話通訳に対する基本方針」は、手話通訳者の人々と共通認識や一致点の基で出されたものではない。

 

 このことを厳密にとらえておかないと、全日本ろうあ連盟の文章や役員などの言ったことが即、ろうあ者の言ったことにもなるし、手話通訳を論じて方針を出すのが全日本ろうあ連盟のみであるとする考えになる。

 

 全日本ろうあ連盟がこれ以降次々と手話通訳についての文章が出されるが、第5回全国手話通訳者会議1972年の全日本ろうあ連盟の「方針」と「提案」とでは意味合いは大きく異なる。

 

 手話通訳の方向(方針?)は、全日本ろうあ連盟やろうあ協会だけ出されるものではないし、手話通訳はその方針に従わなければならないということではない。

 このことで、少なくない混乱も生まれてきていた。

 

 第1部 全日ろう連の基本方針の提案および講演要旨

 

 第1日目の全体集会(午前中)は、まず山田真典子氏の司会で、地元サークル代表神保氏の挨拶、小平地元ろうあ協会長の歓迎のことばにつずき、県障害福祉課長丸山氏、県身障者福祉協会長浅野氏の来賓祝辞がありました。

 

 次に日程説明、請師、助言者の紹介、会計報告(負広氏)、経過報告(伊東氏)が終り、引きつ'いて、全日本ろうあ連盟書記次長松本晶行氏によって、手話通訳に対する連盟の基本方針が出されました。

 

 これは、いま、手話を学び、ろうあ者のための通訳活動をしていこうとする運動が高まってきているが、その中でまたいろいろな間題が出て来る。

 というわけで、この事とかかわって速盟としては一定の機関討議を経た上で、このような基本方針を明らかにしたのです。

 これについて栃木より若干の質疑がありましたが、大筋においては共通理解が深められ、日程は、日本福祉大学児島美都子先生の講演へと進みました。通訳者会議におけるこれらの試みは今回が始めてであり、今後の会議のあり方について一定の方向を示したものとして注目されます。

 

ろうあ者の通訳保障の課題ととりくみ
直面している問題の整理のためのたたき台

 

 手話通訳についての当面の方針 (その1)

 

 近年、ろうあ連動のたかまりの中で聴覚障害者の生活と権利を守るための中心的な間題のひとつとして、手話通訳問題が大きくクローズアッブされてきている。

 

 手話通訳の行政的保障を要求してのわれわれの運動も、不十分ではあるが、いくつかの成果と前進をもたらしている。
 たとえぱ、厚生省の助成による「手話奉仕員養成事業」、地方自治体におけるろうあ者専任福祉職員の採用・設置、あるいは手話サークルのひろがり、 通訳研修会の開催‥‥‥など。

 しかしこれらの運動の前進のなかで、いままで気づかなかったようないろいろな矛盾が表面化し、 明らかになってきたことも事実である。

 

 そこで、このような状況をふまえて、本連盟の当面の方針を明らかにし、全国の手話通訳活動者と共にろうあ者の通訳保障の課題ととりくみ、また、 直面している問題の整理のためのたたき台としたいと思う。

 

手話通訳活動は
聴覚障害者の生活と権利を守る
聴覚障害者の要求や運動に
対立したり干渉したりすることはできない

 

(1)   手話通訳活動にあたっては、それが聴覚障害者のためにある、聴覚障害者のねがいに応えるためのものとしてある、 という観点が確立されなけれぱならない。

 

 このことは、主として2つの意味をもっている。

 

 ひとっは、手話通訳活動は、聴覚障害者の生活と権利を守るという立場が貫かれねぱならないということであり、
 
 もうひとっは、手話通訳活動は、聴覚障害者の要求や運動に対立したり、干渉したりすることはできないということである。

 

 通訳活動とは、理念的には、聴覚障害者のねがい、要求にそうための努力の総和であるということができる。

 従つて、われわれはすべての手話学習者、通訳活動者がこの立場を貫けるよう援助、協力し、必要があるときは批判してゆくことが重要と考える。

 

                                       ( つづく )

 

手話通訳の要求が拡大・発展して 新しい因難や矛盾に直面 第5回全国手話通訳者会議1972年

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手話を知らない人も

                  手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  第5回全国手話通訳者会議1972年。6月2日から3日。長野市で全国手話通訳者会議が開催されたが、この時期から、主催全国手話サークル連絡会・全国手話通訳者連絡会とされ、250名の参加者があった。

 

 質量共に手話通訳のあり方が変化し、考えられていくことになる。以下、報告書を基に論述したい。

 

各地の手話サークルの
全国組織結成の方向が出された

 

  第5回全国手話通訳者会議は、地元長野県ろうあ協会、長野県手話サークル連絡会議、 および関係諸団体の絶大な努力によって予定通り行なわれました。

 

 今回の会議の特徴としては

 

1. 参加者が增え、250人に達したこと。
2.  全日本ろ:)あ連盟より手話通訳に対する基本方針が出されたこと。
3,通訳活動に従事している人達、 各地の手話サークルの全国組織結成の方向が出されたこと。

 

 などが挙げられます。

 

新しい因難や矛盾が

 

 このことは、手話通訳に対するろうあ者の要求が全国的に盛り上がり、 厚生省の援助による手話講習会、また、各地ろうあ協会との提携による手話サークルの輪が全国的に広がってきたことを意味しています。

 

 この事は大へん喜ぱしい事です。

 

 しかし、このように、手話通訳の要求やそれに応える連動が拡大し、発展してくるにしたがって、また新しい因難や矛盾が出てまいてります。

 

 この壁をどうやってみんなの力でうち破つていくか、それが今後の課題です。

 

 この報告書は、 長野県手話サークル連絡会議の人達と、 全国手話通訳連絡会事務局の努力でまとめました。

 会議の内容を伝えるには大へん不充分ではありますが、 皆さんの活動の資料としていただけば幸いです。

 

手話 が上手か下手ではない 信頼する される人間こそ手話通訳 第4回全国手話通訳者会議1971年

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手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  ろう者はの願いは自分のもっていることばで少なくても声を出して話してみたい。この要求を手話通訳者はどのように考えられますか。ろう者が自分の声で話すことを育てるのも必要である。という大阪のろう学校の教師の提起は単純に割り切れるものではない。

 

 発語が出来てもあえて声を出さないことで自らをろうあ者として「示す」。聞こえる人と音声を出さないで(出すことが可能であるにも)手話で話して、ろうあ者は手話で話すと示そうとする近年の傾向は、ある意味解るようで容認することに戸惑いを覚える。

 

 自分の持てる機能を「潜伏」させて、相手を理解させる手段は、逆に音声を出せないろうあ者に対して「侮蔑」「優越感」が内在しているともとれるからである。

 

通訳者には 信頼される人間
 相手を信頼する人間であることが

 

司  会
ろう者には、 声を出したい要求があるので地域でとりあげてほしい。

 

山田(長野)

 

 神奈川の丸山さん、京都の佐瀬さん。栃木の田上先生みなさまの意見がそれぞれ正しいのです。

 

 健聴者がろう者に一生懸命に伝えるということでよいのではないか。 信頼される人間、 相手を信頼する人間であることが通訳者には必要である。

 

 ( 手話が上手か下手ではない。 )

 

 この会が新しい言葉の全国統一の研究の場であってほしい。

 

ろう者代表と我々との交流の場を

 

田上(栃木)

 

 この会議への希望意見として、

  1.会議の中の研修会にろう者代表と我々との交流の場を与えてほしい。 (共通理解の場)

  2.内容に手話技術に関する研修を含めてほしい。 (手話そのものをどのようにとらえ、  もっていくかどこをとらえていくか。)

 

みとう (茨木)

 

1.技術面をお願いしたい。

 

2.何らかの形で厚生省にこの会議の討論の結果の報告をする義務があるのではないか。

 

司  会
 研修会をこれで終わらせていただき、来年は技術的な面の研修もしたい。 今後ろう者との交流の場もっくっていきたいと思う。今後より発展させていきたいものです。

 

貞広(東京)

 

 来年度は希望どおりゃりたいものだ。全ろう連の希望によって厚生省は通達をしたままである。(講習会に行つてほしい旨)

 

 この会の報告は、全ろう連わたくしどもでも報告したいと思う。

 

ろう者が自分の声で話すことを育てるのも必要 この要求を手話通訳者はどのように考えているのか 第4回全国手話通訳者会議1971年

 

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手話を知らない人も

                手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 

  手話通訳者会議などは運動体ではない、運動していくのはろうあ連盟である、とする意見に、もちろんそうですがもうすこしものたらないものがある、と言う意見が出された深層はその後なかなか語らる機会がつくられなかった。

 

 手話通訳者であるために、手話通訳者自身の独自要求があったし、多くの改善要求もあった。

 

 それを全日本ろうあ連盟に提案して、全日本ろうあ連盟が課関係機関に要望するという図式は直接手話通訳者の要求を提出出来ないということになって理解されていったが、このことの是非は充分論議されて来なかった。

 

 その重大な問題の例が、後に手話通訳制度化検討委員会に手話通訳者の代表が委員として選ばれなかったことを考えても明らかである。

 

手まねの研究の学会を

 

鈴木(東京)

 

 手話には魅力があるからみなさまがあっまっていらっしゃる。

 

 手まねの研究の学会をつくってほしい。

 

 ことばとして生かしていきたい。

 

日本ろうあ連盟の
手話研究会の責任者をハッキリして

 

司会

 

 手話研究会は連盟がっくっている。第1集、 第2集ができている。

 

頂(兵庫)

 

 事務的整理ができていない。

 

 責任者をはつきりしてほしい。

 

司会

 間題提起者が積極的でなかった。1年に1度しか指導部があっまらない。組織体の会長、 事務局、連絡新聞など出していきたい。具体的にどのようにするかということはむずかしい。組織化についてどうするか、現実問題として他との交流がなかなかもてない。今回は地元岡山の御努力で開催日に要項(間題提起)を配ることができたが。

 

手話サークル連絡会か
手話通訳連絡会議の位置づけを明確に

 

(京都)

 

サークル連絡会か手話通訳連絡会議か位置づけは。

 

司会

今の感じとしては、1年1回開き、通訳者会議としては三方面ある。

 1.各地のサークル交流の場(サークル交流) 2.講習会(講習) 3.手話通訳者会議(研修)この形はしばらく続けていきたい。別にサークル連絡会をもっていってもよいではないか。
サークル交流会の中で話し合つてもらいたい。

 

行政にとりいれられた会に参加できにくい

 

頂(兵庫)

 

 行政にとりいれられた場合、会に参加できにくい面がある。

 

 連絡会がせっかく作られているので組織化されることが必要ではないか。

 

 作つたなら動きがほしい。

 

司会                               

 

 厚生省より福祉事務所等に通達をしている。職業をもっている者が手話通訳者となっているため諸問題がある。

 (注 全国手話通訳者会議)会議としては、3つの意味をもっているので専門職として出張してほしい。高い評価を受けていないため、出張の条件がそろっていない。1人2、3分で意見発表はありませんか。討議はなし。

 

ろう者が自分の声で

   話すことを育てるのも必要

 

秋山(大阪)

 

 手話技術について、私は高等部までろう教育を受けて手話とロ話の良、悪を考えます。

 

 現在ろう学校につとめています。生徒であった時は心の触れ合いがじかにタッチできる手話が正しいものとして使いました。

 

 手話は便利だけれど手話の上手な先生には抵抗がありました。

 

  その理由はあとになってわかりましたが聞くときはどうしても聞えないので目にたよる。

 

 話すときは声が出せる。

 

 こちらから話すときは手話でなくてよい。

 

 自分の声で話すことを受けなかったので社会にでたあと苦しかった。

 

 願いは自分のもっていることばで少なくても声を出して話してみたい。

 

 この要求を手話通訳者はどのように考えられますか。

 

 ろう者が自分の声で話すことを育てるのも必要である。