手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

手話通訳者 公的認定 規則には深い知識と困難が 全国手話通訳問題研究会の役割と問題

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 手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国手話通訳問題研究会結成当時の初代事務局長谷勇男氏へのインタビュー

 

京都市長が認定した手話通訳者を
特定団体が取り消せないのに取り消す原因

 

 -ー 京都市手話認定通訳は、京都市長が認定したんですね。ところが、その後京都聴言センターが認定を取り消している。京都市手話認定通訳要項には、認定取り消しは京都市長がすることが明記されている。
 問題は、都聴言センター所長が認定を取り消し他のは誤りであったと認めたが、誤りを正そうとはしない。こういうことが多くあるが。

 

 そう。そういうことが多くある。既得権と権限を持ってしまって誤りを正して元のようにしようとしない。

 

 京都市もみんな団体に丸投げだから何も言おうとしない。

 

京都市は手話を認めて手話認定した
    日本初の快挙

 でも現市長はそれすら知らないのは

 

-ー手話言語条例の時に、京都市長は、鳥取県よりおくれて、と言ったが京都市はは手話通訳や手話の問題では、はるかに先んじていたのに。

 

おくれる、はやいの問題どころではないね。

 

 京都市は、手話を認めて、手話認定した日本での第一号ですよね。

 

市長や京都市の職員が何も知ろうとしていなかったのではないかな。

 

多くの紆余曲折と京都市手話通訳認定規則 

 

  京都市手話通訳認定制度(注 1971(昭和46)年5月13日付京都市規則第16号を公布。この規則は、京都市手話通訳認定規則と名付けられていた。)は、多くの紆余曲折があって、規則作るのには、多くの困難がありすぎた。

 

-ー 具体的にどのようなことがあったんですか。

 

 自治体の首長=市長が何らかの公的な認証をするとかいうことはなかった。文化財保護などなどのようなことはあるが。

 

 個人を何らかな資格として市長が認めるということは、いくら全国の規則を調べてもなかった。 

 

  京都市のなかでも異論があったが、京都府に行って法律、規則などの専門職の人にも調べてもらった。

 

  自治体の規則で
 手話通訳者を市長が認定する例はないが

 

 手話通訳者を市長が認定するなどのことなどはありません。ともかく首長が公的に個人をある資格があるとして認定する規則も例もないですね、と言われました。

 

 もし、あえて、失礼な言い方ですが、参考にするのだったら知事が京都府の優秀な種牛。それを知事が認定しているということはありますが‥‥‥と。

 

要項や規則上の法的なスタイルで
 考えるなら参考になるのはこれ

 

 牛と人間はまったく違うが、要項や規則上の法的なスタイルで考えるなら参考になるのはこれですなぁ。と言われた。

 

 それを私が、手話通訳の現状に鑑みて、このような経験と知識をふまえて

 

(目的)
第1条 この規則は、聴覚及び音声、言語機能障害者(以下「聴覚障害者等」という。)との手話を主とする意思伝達技術(以下「手話技術」という。)及び聴覚障害者等に関する知識を持った者であって特に優秀な者を京都市手話通訳者(以下「通訳者」という。)として認定することにより、聴覚障害者等との意思疎通のため通訳を必要とする際の便を図り、もって聴覚障害者等の福祉の増進に寄与することを目的とする。

(申請)
第2条 通訳者の認定を受けようとする者は、京都市手話通訳者認定申請書(第1号様式)により市長に申請しなければならない。
(資格)
第3条 前条の申請をすようとする者は、次の各号に該当する者でなければならない。
(1)学校教育法56条第1項の規定により大学に入学することが出来る者またこれと同等以上の学力があると認められる者であること。
(2)通訳技術における聴覚障害者等に対する福祉活動(以下「通訳活動」という。)の経験がおおむね3年以上あること。ただし、聴覚障害者等の福祉関係機関または施設の業務に従事する者は、この限りでない。
(3)市本の区域内において通訳活動に従事出来る者であること。
(審査)
第4条 市長は、第2条の申請があったときは、申請した者に手話通訳研修を受けさせ通訳者として必要な通訳技術及び聴覚障害者等に関する知識を有するかどうかを審査する。
(認定)
第5条 市長は、前条の審査の結果、通訳者として認定したときは、申請した者に対し、京都市手話通訳証(第2号様式)及び京都市手話通訳者認定証(第3号様式)を交付する。

2 市長は、前条の審査の結果、認定しなかったときには、その旨を申請した者に通知する。
      ( 以下略 )

 

の案をつくった。

 

 規則だから拘束力は高いものであった。

 

 簡単に、手話通訳をしてもいい、手話通訳をやめなさい、というものでは決してなかった。

 

 それをつくって手話学習の市民講座などをはじめた。

 

手話通訳の公的保障 それを歪める動き  全国手話通訳問題研究会の役割と問題

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 手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国手話通訳問題研究会結成当時の初代事務局長谷勇男氏へのインタビュー

 

手話を学ぶ講座を開く時の講師は
必ずろうあ協会を通さないとして混乱が

 

  手話学習の講師はろうあ者でないとイケナイ、という方向はさまざまなところで出てくる。専門学校の講師もろうあ者にすべきだとか。

 

 看護学校やさまざまなところが手話を学ぶ講座を開く。その場合の講師は、必ずろうあ協会を通さないといけないとか。

 

  それで、いろいろなところで揉め事が起きてもう手話講座をやめようという学校も出てきた。

 

 全日本ろうあ連盟の方向で手話学習の講師はろうあ者となると、必ず手話通訳者が同行しなければいけないことになる。

 

 講師のろうあ者には謝礼金が出るが手話通訳者には出ないとか。

 

公的手話通訳保障の縮小
 公的責任を消し去ろうとする動き

 

 京都市でも全国に先駆けて京都市認定手話通訳者をつくっていた。

 

 そして、手話通訳する時には、必ず謝礼金を出し、そのための予算を貯めていた。

 

 それがいつの間にか、ろうあ協会委託になって手話通訳の単価がものすごく低くされてしまった。

 

 公的に手話通訳を保障するということが縮小され、公的責任がないようにされていった。

 

 同じような問題が各地で起こっていた。公的責任を持つことが、ろうあ協会委託になって手話通訳の公的責任が消されることが。

 

  手話通訳制度の「影の部分」が
 今日の手話通訳に繋がる基本問題

 

-ーそれらのことが今日まで続いて手話通訳制度の「影の部分」が残っているのでしょうかねぇ。

 

 手話通訳をすると金が支払われる。その金をめぐって揉め事が起きる。

 

 そのためろうあ協会が窓口になってそこだけにする。すると手話通訳に制限が加わって他の人が出来なくなってくる。

 

幅広く手話通訳するとともに
 専門職の手話通訳のレベルを上げる

 

-ー全国手話通訳問題研究会をつくるのは、幅広く手話通訳者の活躍と学習研究の場をつくろうと言うことだったのでは。

 

 そう、そうことだった。全国手話通訳問題研究会に各ブロックをつくって手話通訳者の資質を高める、幅広く手話通訳することは当然として、専門職として手話通訳をする人々の中身のレベルも上げていく。

 

  案を作って社会福祉司だけでなく、「手話通訳司」をつくっていくことを考えた。厚生省と全日本ろうあ連盟との関係で不透明なままつくられて行くような流れに納得できなかったので。

 

  手話通訳者の基準・単位の取得

 基礎的な学習そのベースを

 京都に認定通訳者制度だったが

 

  手話通訳者としての基準、単位の取得、手話通訳の基礎的な学習の上に手話通訳になされる、そういう基礎を築きたいと考えた。

 

 その初めが京都市認定手話通訳者だった。

 

 それをベースにさらに築いていくことを考えていたら厚生省は京都市手話通訳者認定の方法だけをそのまま使うようになっていた。

 

  厚生省は京都市手話認定通訳者の要項そのまま取り込んだ。

 ところが厚生労働省京都市長が手話通訳者を京都市として認定したようにするのではなかった。

 

 厚生省が手話通訳者を認定するのではなく、団体に委託して、団体が運用するようになるから事態は公的保障と言うだけでなく京都市認定手話通訳と全く異質なものとなっていった。

 

 

 

手話学習の講師はろうあ者でないといけない の結果 全国手話通訳問題研究会の役割と問題

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 手話を知らない人も

    手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国手話通訳問題研究会結成当時の初代事務局長谷勇男氏へのインタビュー

 

全国各地で努力してくれた人々

 

 -ー全国手話通訳問題研究会はすぐ全国組織に出来たのですか。

 

  全国手話通訳問題研究会の会員は、300人にも満たなかったので伊東のり子さん(伊東雋祐先生の奥さん)がやりくりしてくださったが、大変だった。

 

 会員も全国手話通訳問題研究会の体制も整っていなかったけれど、全国に手話通訳者が育ってほしいと、私が(谷勇男)がすこしづつ呼ばれるようになって。

 

 手話劇で、岩手、青森。北海道、大阪、和歌山は何度も行った。四国、九州はほとんど無くて。

  四国は、山口県の綾城さんが努力してくれて。

 

-ー四国九州、沖縄への働きかけはかなりおくれた。

 

  たしかに、おくれたね。逆に東北、特に福島、青森、北海道が活発に取り組んでくれた。

 

手話通訳研究を蓄積していくことを考えて

 

-ー手話通訳問題研究誌などの出版をはじめたのは

 

 やはり、手話通訳研究を蓄積していくことが大切と考えて出していった。書ける人が書いたり、書くことを頼んだりして。

 

 各地に全国手話通訳問題研究会をつくるために積極的に取り組んで組織してくれる人がいた。黑崎さんの奥さん、和歌山の吉見さんとか多くの人が努力してくれた。

 

全国手話通訳者会議は
 充分検討されずに取り止められた

 

-ー全国手話通訳者会議が開かれなくなったのは、全国手話通訳問題研究会が出来たからなんですか。

 

 いやいやそうでないんです。

 

 充分検討されずに取り止められた。そのため手話通訳研究の部分が、全日本ろうあ連盟との関係で空白にされてしまった。

 

  ろうあ協会に「従属」するような関係が出てきた。

 

 全日本ろうあ連盟と全国手話通訳問題研究会、各地のろうあ協会との関係で同じような問題が出てきていた。

 

  ろうあ者の言うことを聞かないとイケナイとか‥‥‥

 

主人公はろうあ者
 そのろうあ者が参加しなければだめだと

 

-ーなぜそのような平等関係が築けなかったんですか。

 

 それは主人公はろうあ者。そのろうあ者が参加しなければだめだ。

 

 手話学習会などにも。そうなるとろうあ協会の役員などが、あの手話は、これは、とかそんなことばかりを言う。

 

 基本的なことではなくて。さらに全日本ろうあ連盟が手話学習の講師はろうあ者でないとイケナイ、という方向を打ち出してくる。

 

金は無かった 各地の真面目な手話通訳者に支えられ 全国手話通訳問題研究会の役割と問題

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 手話を知らない人も

       手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国手話通訳問題研究会結成当時の初代事務局長谷勇男氏へのインタビュー

 

全国各地域で真面目に

 手話通訳していた人々がいたからこそ

 

  愛知の長谷川さん、山口の綾城さん、静岡の高橋さん、福島の小林さん、丹治さん、東京の綿貫さんとかが、真面目な考を持って活躍していた。

 

この人たちにおかげで全国手話通訳問題研究会が結成されることになる。

 

 -ー何らかの研究会はつくらなければ、となっていた。

 

 京都ろう学校の村上先生が、理論的、実践的推進役だった。

 

-ー青森の第7回全国手話通訳者会議で全国手話通訳問題研究会は結成された?

 

 いや土台づくりだけで全国手話通訳問題研究会結成はしなかった。

 

  全国手話通訳問題研究会には
   財政基盤はほとんど無かった
 
  全国手話通訳問題研究会結成当時は、委員長などはなく事務局制度で事務局長は私。手話通訳実践は向野さん。伊東雋祐先生は関わってこなかった。

 

 向野さんも伊東さんも全日本ろうあ連盟の参与だった。

 

 伊東先生は向野さんが取り組んだ大変な状況、ドロドロした現実の中の手話通訳やろうあ者問題を聞いて、文にしていた。

 

 伊東雋祐先生が、体験して、知ったことではなかった。

 

 貞広さんは、全国手話通訳問題研究会に関わっていない。

 

 他の財団に関わっていた。

 

 -ー全国手話通訳問題研究会事務局は何をしていたの

 

  全国手話通訳問題研究会の会員に連絡、会員の募集。お金がまったくなかったので、ろうあ問題研究会をつくり、本を売る。

 

 ライオンズクラブから寄付をもらって「手で話そう」をつくった、静かなブームが生まれたりして。全国手話通訳問題研究会で講座を開いてその講座費用などなどでまかなう。

 

 大会の費用などなどそれらは全部、伊東のり子さん(伊東雋祐先生の奥さん)がやりくりしてくれた。

 

 財政基盤はほとんど無かった。

 

いろいろな意見を受け入れる全国手話通訳問題研究会をつくらないと 全国手話通訳問題研究会の役割と問題

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国手話通訳問題研究会結成

  当時の初代事務局長谷勇男氏へのインタビュー

 

手話通訳や手話通訳の専門性をきちんと

理論的に積み上げていかなければならない

 

-ー 全国手話通訳問題研究会はなぜ結成されたのですか。

 

  第一回全国手話通訳者会議が開かれたときから、研究会結成のはなしは出ていました。

 

  第一回全国手話通訳者会議は福島県のろうあ協会や板橋さんのご尽力により開催されましたが。

 

-ー 全国手話通訳問題研究会の構想にあったものはなんですか。

 

 当時京都の手話サークルみみずく会に参加していた当時ろう学校の教師であった小林武先生。

 

 今、沖縄大学客員教授(1941年京都市生まれ。2011年、南山大学愛知大学教授を定年退職して後、沖縄に移住。現在、沖縄大学客員教授。沖縄で平和的生存権研究、沖縄憲法史研究)が基本的人権についていろいろと教えてくれた。

 

 小林武先生は、手話通訳や手話通訳の専門性をきちんと理論的にも積み上げていかなければならない、と強く主張されていた。

 

 理論という者はあってないようなものだった。

 

  独善的・原理を絶対的

 なものとする考えで危険な方向に

 

-ー手話通訳や手話通訳の専門性をきちんと理論的にも積み上げて行くことについては。

 

 同じろう学校の教師でも伊東雋祐先生はあまり言わなかった。

 

 小林武先生は運動というものはその時々の状況や少数派が中心となり市民権を得ると危険な方向に行く。

 

 私もその動向を薄々感じていたろうあ協会の一部にある動きを。

 

 独善的、原理を絶対的なものと考え、当面する状況や具体的な諸条件を考えないで機械的に適用するなどの教条主義

 

 自分の考えが正しい。いろいろな意見に対して受け入れることなく自分の考えを押し通す。

 

  他から違う意見が出たら、それは違う、差別や、と。
 
 同和問題でよく言われた理屈を否定するように言いながら、それを肯定する。

 

 踏みつけられたカエルの痛みは踏んだ人には分からないだろうというような考え。

 

ろうあ者の運動が
 危険な方向に行くような危機感

 

-ー そんな話が出ていたのですか、京都で。

 

 よく言われたり、文にしていました。それに嫌悪感を抱いて。このようなろうあ者の運動は危険やなぁ、と思った。

 

 だから研究と運動の両側面から取り組んで行くの両輪。

 

 全国手話通訳問題研究会は絶対必要だと思った。

 

手話通訳者の道は長く厳しく  はてがない 全国手話通訳問題研究会結成の意味と問題

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  手話を知らない人も

   手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

手話を学ぶ側の教訓を凝縮して制作

 

  中学生高校生のための手話テキストをろうあ者の人々とそれを見つめた手話を学ぶ側の教訓を凝縮して制作した。
 として、いくつかのポイントをあげた。

 

1,家族とも会話も.「食ぺる」「ねる」ぐらいの身ぷりだけ
2,佐藤さんを訪ねるようになって5年。佐藤さんは.やっと心を開きその日の出米事を身ぶりで語るようになった
3,田中さんが、「元気?」の手話をする。佐藤さんから「元気」という答え

 

この部分は、説明した。

 

何が言いたいのかわかるんですもの
  私はまだまだだわ と言える謙虚さ

 

 ところで、

4,全身で何かを語る  田中さんは.「ふんふん」とうなづきながら、ときおり手を動かして話を確める
5,田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの  私はまだまだだわ
6、山本さんはつぶやいたなぜか、そのつぶやきが.今のぼくの心に残っている

 

 田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの  私はまだまだだわ、と言う手話サークルの山本さんのことばに、手話を学ぶ基本的姿勢と謙虚さを織り込んだ。

 

40年の月日を打ち破る5年は長くて短い
 
  未就学のろうあ者の佐藤さんにろうあ協会の田中さんが5年かけて話しかけ、ようやく会話が成立するようになる。

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 5年という月日は、長いように思えるが、未就学のろうあ者の佐藤さんは家族以外の人との関わりがないま40年間生き続けてきたのである。

 

 40年の月日を打ち破る5年は長くて短い。

 

 1960年代から1970年代にかけてそれまでろうあ者の人々と共に未就学のろうあ者へ働きかける手話通釈者は希であった。

 

 だが、手話を学ぶ人々が多くなると、ろうあ者の人々と共に未就学のろうあ者へ働きかけ、手話をコミュニケーションとして成立出来る糸口を模索しはじめた。

 

 ところが、手話通訳者は、未就学のろうあ者との会話を成立させることは難しかった。

 

 同じ聞こえない者同士だからコミュニケーションが成立すると思うのは誤りであるが、粘り強く未就学のろうあ者に働きかけ。コミュニケーションを成立させていくろうあ者に感嘆したことも多く報告されていた。

 

謙虚なこころで手話を学んでほしい

 

 田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの  私はまだまだだわ、と言うはなしは多くの実例から書いたが、手話を学ぶ人々は、あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの  私はまだまだだわ、という謙虚なこころで手話を学んでほしい、また現実そうなのだという事があった。

 

資格で権威付けるのではなく
 内面の意思を引き出し尊重し
コミュニケーションとしての手話を教える

 

 最近、手話通訳士や手話通訳をする人々の中には、以上のような謙虚さを失い、これはこうだ、これが正しいとのみ言い切り、自らを権威付けする傾向を見るにつけ、このような人は、家族以外の人との関わりがないま40年間生き続けてきたろうあ者に手話を拡げることは出来ないとさえ思える。

 

 なぜなら、その人のもつ内面の意思を引き出し、それを尊重しながらも、コミュニケーションとしての手話を教えることが出来ないと思うからである。

 

 人間は、同一条件、同一環境の中で生きているのではない。それぞれが異なった条件で生きている。

 

 だからコミュニケーションが成立しないと言うことではない。

 

 違いを認めて共通部分を見いだし、その共通部分から違いを認め合うコミュニケーションを成立することが手話通訳をする人々にもとめられているのである。

 

 それは資格試験に合格して資格を有しているから出来るということでは決してないだろう。

 

 たしかに、資格試験の在り方にも根本的な問題があるが、大切なことは、ろうあ者の言いたい気持ちを充分表現することが一番大切なのである。

 

 イヤという表現でも、ただイヤとだけ通訳して通訳したことにはならない。

 

 イヤという全身で表現される「イヤ」に一番あてはまる「ことば」を伝えてこそ手話通訳したと言えるだろう。

 

 その点では、手話通訳者の道は、長く厳しく、果てがない。

 

 

手話獲得の偉大な変化 その糸口 全国手話通訳問題研究会結成の意味と問題

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   手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

ろうあ者の手話は「昔の手話」と
 決めつけられて認知されてこなかった


 二つの動作が出来るということは、その組合せで無限の動作が出来るということであ

り、手話獲得の可能性を示していたのである。

 

言語のところで「伝達するために用いる記号体系。」

 

と書いた、この二つの動作が出来るということは、その組合せで無限の動作と体系化は、残念ながら充分体系化されなかったためにろうあ者の手話は「昔の手話」と決めつけられ認知されてこなかったのではないかと考える。

 

 この手話の体系化の実証的研究を始めたが、時間的物理的条件で出来得なかったが、全国の人々の協力によって出来うるはずだった。特に全国手話通訳問題研究会はそれを受けとめ系統的追求をはじめたが、しばらくして方向転換した。

 

  二つの身振り動作が
出来るとことは組合せで無限の動作が可能

 

 二つの身振り動作が出来るということは、その組合せで無限の動作について、過去、なかなか理解してもらえなかったが、現代社会では、「アナログ」と「デジタル」が理解されてきているの広く理解出来るだろう。

 

 二進法で膨大な情報の処理と伝達を行う

 

 極めて大雑把に書くと、Analogアナログは、連続した量を他の連続した量で表示する。

Digitalデジタルはが連続量をとびとびな値として表現する。
 がここで、デジタルは、すべてのデータを0か1で処理している。コンピュータは二進法を使ってデータを処理するといわれコンピュータでデータを処理する時にはすべて0か1、すなわち整数に置き換えています。

 

 この二進法で、膨大な情報の処理と伝達を行うことが出来るのであるから、身振りや手話が「二つ」出来るということは、その組合せを無限に続けることが出来るとともに、その組合せから数え切れない手話表現が出来るということになる。

 

 空論のように思えるかもしてないが、身振りや手話の現実使用を見るとそれは無限の広がりを示唆しているのである。

 

手話を急速に獲得していく可能性を表現

 

  「食ぺる」「ねる」ぐらいの身ぶりだけだった佐藤さんが、5年の月日の働きかけで、ろうあ者のリーダー田中さんが、「元気?」の手話をすると佐藤さんから「元気」という答えが返ってきて、その日の出米事を身ぶりで語るようになった。

 

 そして、佐藤さんは、テレビを指さし、全身で何かを語る。田中さんは.「ふんふん」とうなづきながら、ときおり手を動かして話を確める。

 

 この「変化」に身振りや手話が「二つ」出来るということは、その組合せを無限に続けることが出来、コミュニケーション手段としての手話を佐藤さんが急速に獲得していく可能性を表現しているのである。

 

 手話表現に限界はない、と言えると共に手話獲得による新しい世界が広がることを理解してほしいと思う。

 

  田中さんが「元気?」の手話をすると佐藤さんから「元気」という答えが返って来る偉大な変化を見て行かなければならないと思う。