communion of mind with mind 日本語対応手話とか、日本手話とかを主張する人に共通しているのは、日本語とは何か、日本手話とは何かの定義が極めてあいまいであり、自分で「定義」した考えて「違い」を強調したり、する自己完結型が多い。時には対峙する側…
communion of mind with mind 人間どうしが「会話」する基本条件を取捨した手話通訳の資格制度になっていないか、とまず述べておきたい、と書いたことに多くのご意見をいただいた。 手話テキストで学び、資格試験を受けるひとびとにとっては「これが手話」「…
communion of mind with mind 沈黙のあとアヤキさんは、「ろうあ者の被爆体験を聞き、記録する取り組みは、ろう学校にも行けず、読み書きも出来ないろうあ者から初めて欲しい」と言って後は何も言わなくなった。 と、 老婦人は、眼をまっすぐアヤキさんに向…
communion of mind with mind 視覚した聞えないひとびとが全身全霊で訴えている「手話」を「無視」する限りは「手話を語る資格はない」とさえ思えてくる、と前回述べた。 手話をさまざまに解釈する人や「昔の手話はといつの時期かも明らかにしない昔の手話」…
communion of mind with mind 2023年。8月6、8月9日 。 平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)・長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典がTVに流れていた。 手話通訳の手話を見ていたが、驚き以上に哀しみと怒りが混在してTVを消していた。 …
communion of mind with mind 長崎県、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで投下された原子爆弾が炸裂したその真下で洗濯をしていた少女。 約3,000度の熱。 原爆の爆風により樹木は倒れ焼き尽くされたことから70年は草…
communion of mind with mind 長崎県、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで投下された原子爆弾が爆発。 原子爆弾が爆発した爆発点の瞬間温度は摂氏数百万度に達しといわれ、爆発から1万分の1秒後には、約30万度の火…
communion of mind with mind 平和公園を後にして下り坂を歩き、原爆投下後アヤキさんたちが逃げ込んだ穴」を見つけて、川沿いにアヤキさんと手話通訳とカメラマンは、長崎市松山町171番地にある落下中心地へとむかった。 三人とも足取りはとても重くなりと…
communion of mind with mind アヤキさんの手話を、同行したカメラマンに手話通訳した。 「あの穴に逃げ込んで過ごしていた」「あの穴に自分たち子どもたちは中に入れ、親が子どもを抱き込み背中で穴の入り口を塞いでいた」「そこは、安住の穴だった」「食べ…
communion of mind with mind アヤキさんは、南へと細い道を歩き続けて自分が被曝したと思われる地点にやって来たが、どこだったか解らず右往左往した。 あたりは一変していたのは当然である。が、被曝して生きた人々も死んだ人々も水を求めていた。 水の近…
communion of mind with mind 最近、「言えない言葉がある」と言う意味をさまざまに受けとめる人があるように思える。 同時に次のことを問い続けてきたし、問い続けてもほしいとも思う。 手話通訳できない手話もある。 言葉で、言い現せない、とも、言える手…
communion of mind with mind 長崎ろうあ協会のアヤキさん、手話通訳者、カメラマンの3人は、平和祈念像がある平和公園で出会った。 それは、アヤキさんが被曝した地域の近くであることや平和公園で出会いやすかったこともあった。 3人が出会ったとき、平和…
communion of mind with mind なぜ、どうして、と聞き返すことをしないで、手話テキストから、思い込んだことをだけを手話を学ぶ人はしていないだろうか。 それは、同じ人間として、手話を通して深い人間連帯と深い信頼を築くことを「避けて」はいないだろう…
communion of mind with mind 「そんなにうるさいの。」とたずねた加谷さん夫婦と話し合えたこと。 建前だけでなく本音で語り合えたことは、手話通訳をするためには重要な基礎的条件であったと今も思う。 手話テキストを前に、手話はこうするの、と「教えら…
communion of mind with mind 通知表でない次のようなことを話してみた。 「息子さんは聞えるから家の中二階の部屋で勉強しようにも織機の轟音で集中、出来ないかも。」と。加谷さんは、今まで思いもしなかったのだろう、「そんなにうるさいの。」と聞く。「…
communion of mind with mind どんなに貧しくてもしあわせは、今にあると、言う加谷さんには悩みがあった。 信頼関係が、増すにつれて少し浮かない表情をする時があった。 どれくらいの月日が経ったのかと記憶が薄れるぐらいの時のことだった。 加谷さんは …
communion of mind with mind 手話は、具体的なものやさまざまな出来事の実際にあった客観的な事実に基づいて連関される。と述べたが、具体的なものやさまざまな出来事の実際にあった客観的な事実に基づいて「多くの経験内容が一定の関係に従って結合し、一…
communion of mind with mind 京都の西陣は西と帯や織る帯、絵付けをした着物などなどで表現されていた。加悦さんは違った。頭上から降りてくる織物が家中這い回る手話が、西陣織だった。と述べてきた。 これは、手話の違いや表現の多様性だけでは決してない…
communion of mind with mind 加悦さんの家は今はもうない。 が、招かれた頃は、とてもとても小さな家だった。間口が狭く、戸を開けると織機が頭上から落ちるような感じで動き続けて、機械音が鳴り響いていいた。 よく言われる「ガッチャンガッチャン」と表…
communion of mind with mind 笑みの表情は、無限である。 こころから湧き出た笑みで、手話で話される時、「うれしかった。家が買えて」「家が買えてうれしかった。」と「単純」に手話通訳することは出来ないと深く胸に刻んだのはこの頃のことだった。 と書…
syuwatan communion of mind with mind 京都、西陣。織物の地域だった。 かっては、織物の機械音が鳴り響き、共鳴し合い、その音を聞いただけで西陣の地域に居るとわかるほどだった。 ガッチャン、ガッチチャンと表現する人も居たが、その音に耐えきれない人…
communion of mind with mind お尻で止めて、握り拳を当てて、「パー」とした歯科医を加悦さん(仮名)さんが、褒め称え、本当の手話なんだと何度も語り、多くのろうあ者に話し続けたことが心に残った。 医者にかかるから手話通訳を、と頼まれたときは、長時…
communion of mind with mind 京都市内は、むかしから地形の影響もあり清らかな水が湧き出でる。その清水が至る所で流れ、碁盤の目の路と交叉したり、並行したりして人びとの暮らしを支えてきた。 そのなかでも船岡山あたりは、樹々が生い茂り極暑の夏でも人…
communion of mind with mind 今日、日本の伝統産業は世界から高く評価されている。その技法、美、機能性などなどに感嘆することも多い。 日本の伝統産業は、さまざまに紹介されている。 だがしかし、その伝統産業を支え、伝承し続けてきた人びとの中に多く…
communion of mind with mind Bさんから、出会うあうあ者のひとりひとりの手話を「まねる」ようにと聞いた。 しかし、これは簡単なことではなかった。いま思い出しても大変なことであった。 明治時代、大正時代、昭和の戦前、昭和の戦後を過ごしてきた人の手…
communion of mind with mind 過日、手真似と言うとひとりの方から激しい批判を受けた。 それは手真似と教えられて、手話を学ん出来たことへ熟知した上での批判であったかどうか払拭出来ないでいる。 激しい批判をしただけでその人は、批判する理由や根拠を…
communion of mind with mind 猪口(仮名)さんが、あの手話通訳者は信頼出来る、と触れ回っていたことをBさんは、すでに知っていた。 そして、手話通訳する人への信頼について次のように言った。 1,今は、手話通訳をする人はとても少ない。 だから私たち、…
communion of mind with mind Bさんは、沈黙の行動で「手話通訳は、何から何まで全てをろうあ者のためにすることではなく」と示していたことはあとで知った。 Bさんは、「自分で出来ることは自分でするから」ということで、手話通訳を頼まないこともあること…
communion of mind with mind Bさんの声は、弱々しく聞え、圧迫された声、と思い込んだが、Bさんは平気でたばこを吸いすたすたと歩いて行く。 店の人にBさんの声が通じていたのであるが、と述べた。 Bさんは、産まれてから今まで自分の声を聞いたことがない…
communion of mind with mind 人間は、新たな体験をしたとき、その印象は強く残るものである。 ましてや知らなかった、いや知らされていなかったことを、知ったときの印象は心を揺さぶるものが強く残る。 手話を覚えはじめた頃、手話通訳として何かやらなけ…