手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

  聾 ろう ろうあ 聴覚障害などの表記について

communion of mind with mind まず最初に、「聾」について、龍+耳で構成されているが、龍にこもる、たちこめるという意味から形成されてきているが、「こもる」「たちこめる」ことから「ハッキリとではないが」「ぼんやりと聞こえる」という意味をも含んで…

手話を学び、手話通訳をするときの人間的基礎条件

communion of mind with mind 手話検定試験などが推し進められて、ろうあ者の人々が創り上げてきた手話について人間性が省かれてしまって、まるで機械化された手話が手話とされていると思われることがあまりにも多い。 残念なことは、手話検定試験などが推し…

手話の「三種の神器」

communion of mind with mind 空間と時空の組み合わさった手話を文字やはなしことばに置き換えることのキーは、手話の玄理にある。 このことを検証してみたい。 それ以前に、はなしを少し遡ることとする。 前述した、 山本正さんは、みんなの手話を見ていて…

手話 立体と時空の概念が駆け巡る  それを解くキー

communion of mind with mind truth 「対の手話」は、幾通りにも組み合わせることが出来、その限界はない。 手話表現を「ひとつ」だけとする固定概念は、その「限界なき手話表現」を理解する事は出来ないのである。 それを認める事の出来ない人々は、「限界…

表情とくに眼が語る手話の玄理 そこにはこころ・精神・思考をも投影する

communion of mind with mind truth 手話の微妙な手指の動きから想いを見出さないで、すべて手話では「同じ」と断定することは、人間の心情をも見ない画一的な捉え方となる、と述べた。 この場合、手話で表す場合に「表情」とくに「眼が語る」ことを加味しな…

手話玄理 「指先の動きと方向」で「一致」 さらに「一致に至る迷い、戸惑いなどなど微妙な心情」をも表現

communion of mind with mind truth 「対(つい)の手話」二つそろって一組をなすす手話。 この「対の手話」はとても大きな意味と多彩なコミュニケーションを形成する。 「対の手話」は、両手を使うため必然的に「対の手話」になったとは考えられない。 すでに…

手話 制限を解き放つ手話の玄理

communion of mind with mind truth 一致、同じ、そうです、など多様に使われた手話には、制限を解き放つ玄理があるように思えた。 手話 同じは戦前から使われてきた手話である。 そのため手話表現の源流となった漢字表記を考えてみた。 一致の致は、いたる…

手話 同じ 二つ・左と右の手で表現されることからはじまる限定なき表現の誕生

communion of mind with mind 聞えないという状況の中では、その場の状況、人びとの動きと表情そして眼の動きを微細に知ることがある。 そして、そこにある人間同士の交流を知ると述べた。 聞えないという状況の中で人びとの動きと表情そして眼の動きを微細…

聞こえる人との表情、眼の動き、眼が語ることにとても敏感 交流の切っ掛けを知る

communion of mind with mind 笑顔で頷くことへの多くの人の笑顔の返事について、ろうあ協会の人に聞いてみた。 山本正さんの気持ちはとてもよく解る。 あの人は、ろう学校や学校に行けず、読み書きも出来ないけれど、まったくわからない状況の中で生きるこ…

手話の基礎に流れる人びとの「感情交流」

communion of mind with mind ※この文は、手話と手話通訳について、実体験を書き、月日の流れと共に考えた法則的なつながりを述べている。 山本正さんが笑顔で頷いた姿を「手話を覚えはじめる第一歩」と述べた。山本正さんは、手話をしていない、のに、なぜ…

手話を覚えはじめた最初の一歩の表出

communion of mind with mind 突然、遠慮がちに前の席に座る人が手をあげて、と書いた方を以降、山本正さん(仮名)と書かせていただく。 山本正さんが、手を少し動かしたので「飛び交っていた手話が止まって、みんながその人の手を注視した」という書き方は…

飛び交っていた手話が止まる みんながその人の手を注視

communion of mind with mind それからしばらくしてまた、ろうあ協会の集まりに参加した。 聞えるのはやっぱり一人。 今回は、会場に早めに行った。 もう会場にはろうあ協会の人がいた。 机を並び替えている。 正面に向かって平行に置かれていた机を長方形に…

それぞれの考えを手話ではなしたけれど それぞれの意見はそれなりに解る

communion of mind with mind ろうあ協会の役員さんに聞いてみた。 数人の人が、同時に手話ではなし、論議する、それが解るの、と。 すると、何十人ではないが、数人の人が発言するとあなたは解らなくなるの?と聞いた。 聞こえる人は、銘銘(めいめい)が話…

数人の人が、同時に手話ではなし、論議する

communion of mind with mind 手話通訳を永くやってきた仲間が集まって話した。 「昔の手話通訳」と決めつめられることに腹立たしい思いをしていることをみな吐露した。 手話をテキストで学ぶことがなかった時代。 手話通訳が資格で、優劣が決められなかった…

正しい手話やまちがった手話とする根拠はどこにあるのだろうか

communion of mind with mind かなり以前にしたためた文を 現代風に書き留めて欲しいとの依頼があった。 だが、筆は遅遅としてすすまない。 すすまないのには、訳がある。 その訳も含めて書き記して欲しいとの要望を受けるが、なおのこと筆は進まない。 その…

聴覚障害者教育は 施設設備か教員の配置か 教育賛美と教育のなかみ

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 豪華な施設設備をつくって終わりにするのか教員配置か 当初…

京都府立ろう学校の教訓を京都府立山城高等学校に伝承・連携

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 京都府教育委員会と京都市教育委員会の分担協議 京都府、京…

ろう学校の諸経費と難聴学級の諸経費では極端な違い ろう学校をつくらず難聴学級だけだった背景

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 京都府・京都府教育委員会は、ろう学校を設置している。 京…

ろう学校、難聴学級 教員の給与等の人件費の配分 よく理解されていない

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 第二番目には、山城高等学校の聴覚障害教育の試行について…

インクルージョン「異質なもの」が「ひとつにまとまる」状態を考えられているならば

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 inclusionと教育における異質の集団形成論 inclusionの英語…

国際的に先駆的な教育をすすめた山城高等学校の聴覚障害者教育 欧米の教育に「追随」する日本の教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 日本独自の聴覚障害者教育を山城高等学校で実践 山城高等学…

インクルージョン・インクルーシブ教育と山城高等学校の教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 日本の教育や聴覚障害者教育に新たな1ページ 村上中正氏の…

山城高等学校における聴覚障害の生徒を包括した教育は教訓に富む 一部の保護者から、「手話」について異議

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 労働で学んだことが夜高等学校で学ぶことで連結する しかし…

教育が「働く」ことに従属することのない教育 山城高等学校 夜間課程

村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 夜間定時制課程における教育と聴覚障害者教育 村上中正氏は「試論」の最後に山城高等学校の定時制課程に付い…

山城高等学校用創造的集団補聴器 次々と改良 健聴生徒と聴覚障害生徒が学べるために

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 京都府がオーダーメイド「可搬型集団補聴器」作成 高等教育…

日本初 1971年 京都府立山城高等学校では聴覚障害の生徒を教育制度的受け入れ

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 配慮しつつも平等な入学試験 1971年。京都の京都府立山城高…

ひとみ みのる氏も聴覚障害の生徒と同じ学び舎で学びはじめた 1971年4月 

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 ひとみ みのる・人見実氏も 聴覚障害の生徒と同じ学び舎で…

部落差別、結婚差別、ろうあ者差別が織り籠められた大問題にろうあ協会取り組む

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 京都ろう学校高等部の授業拒否事件から4年後、1969年に結婚を誓い合ったろう学校の卒業生が、親の大反対を受ける。 それまで、好意的であった親が大反対した訳を調べた友人たちとろう学校の教師がその理由…

ろう学校教師 卒業生の結婚相談・仲人などで高額謝礼を受け取るが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 京都ろう学校高等部授業拒否事件。 当時のろう学校校長は、同和教育に熱心に取り組み、管理職になったと言う人が多い。 校長は、すべての問題を差別として片付けていたようである、これに京都府教育委員会…

手話 差別 籠められた人間平等とそれを共に実現する思い 人間連帯と分断の違い

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 平等の手話 京都の手話で、平等は「左右の手のひらを胸の前で平らにそえて(合わせて、そこから)手の平を左右に広げていく」とのこと。 もちろん、併せて他にも平等・平和などの手話の意味合いもあった。 …