手話や手話表現にこだわるが
伝わるという最も
大切なことが欠落していないか
現代ー厚生労働省管轄の下?新しい手話とされ新しい手話こそが正しいとして判断される傾向が強力に推し進められている。
そして、手話が形式的枠組みの中に押し込められ、多様で豊かな手話よりも手話の「正しさ」にこだわり、それ以外を排除し、手話通訳そのもの本来あった姿がかき消される傾向が年々強まっている
強権的な傾向と主張する人もいるが、考えるに付け、単なる憂いだけに留まることはない。
「新しい手話」「正しい手話」として唯一無二のものとして排除するならば、ろうあ者が自分たちのコミュニケーションとして創造して守り発展させてきた手話やそのろうあ者の人びとの「存在」を否定する動きにも繋がるのではないかと考えるのは考えすぎであろうか。
現に手話通訳という名称で発行されているさまざまなテキストのほとんどは~は、手話でこうする、という断定的なひとつの手話の紹介であったり、手話をならべたてているだけに過ぎず、他にも手話が多くあることすら述べようとしない。
手話の多義的な意味を知っていないのか、知らないのか、とにもかくにもコレにたいしてコノ手話でしかナイと狭義に断定してはいないか。
「手話で通訳する」という本来の意味での「手話通訳」という基本要素がないがしろにされている傾向が強いのではないかと思える。
マニュアル化された手話という人もいるが。
このように述べると、手話が多面的な意味合いがあり、ひとつのことばに対して多彩な手話があると混乱したり、全国共通のものではなくなる等々多くの意見に「押しつぶされる」かも知れない。
だがここには、日本語は標準語しかないとする標準語唯一日本語といする画一化を無批判に受け入れ信じこんでいる人びとが居るのではないだろうか。
冒頭から、手厳しいことを述べるかも知れないが、ことばとしての手話が表現の自由が保障されないといけないと思う。
手話の表現の自由を勝ち取る闘いは、世界の歴史とも連動している。
世界の言語や文字などのコミュニケーションのをめぐって特定の言語が政治的軍事的に強要された時、それに対する抵抗で多くの血が過去も現在も流されていることは明白な事実なのである。
手話は、ろうあ者の人びとのコミュニケーション自由の激しい抵抗と闘いの中で、社会的にも国際的にも認知され、理解されてきた。
コミュニケーション自由の激しい抵抗と闘いなしに手話は存在しえなかったと敢えて述べておきたい。
以上のことを踏まえと、手話通訳が音声・文字などを手話を媒介とする「無限の領域」の中からより確定な「表現」を選択し、手話を媒介して人間同士のコミュニケーションを成立させるという手話通訳の専門性を以下順次述べていく。
重要な要素が考慮されていない 「伝達理解」
近年まで手話通訳の仕事(以下労働)は、まったく研究・検討されてこなかったのではないかと考えられる。現在も検討されているとは言いがたい面もある。
なぜなら手話通訳として書かれたり、報告されたものはあったが、その内容のほとんどは、「手話で通訳する」という「通訳する」という解明や論述があまりされてはいないからである。
「手話マニュアル」「手話通訳マニュアル」や「手話テキストに書かれている手話の羅列」で手話通訳がなされたと論じてはいないだろうか。
手話通訳を「見て」いたろうあ者に確かに伝わった=通じたのかどうかの検証があるのだろうか。
またろうあ者の手話を確かに受けとめ=それが伝わった=通じたのかどうかの検証があるのだろうか。
幾層にも検証されて、この時のこのような手話通訳や手話表現が的確だっただろうと検討する専門的意見交換や合意もないのではないか。
検証することが、手話通訳を行なった人への評価や悪意があるかのように考えられていることはないだろうか。
それは別次元の問題なのであるが、理解されていないが故に放置されている。
重要な要素が考慮されているとは思えないと問題提起しておきたい。
手話通訳とは
手話通訳者の手話通訳労働とは
1980年代から手話通訳者の職業病が解明され、手話通訳者の人間的構造や人間的特質が手話通訳の労働上考慮されていないことが明らかにされた。
このことは、手話通訳とはなにか、手話通訳者の労働とはなにかを明らかにしなければならないことを一層求める結果になった。
人間相互のコミュニケーション
としての手話通訳
人間を媒介とする手話通訳には、人間相互のコミュニケーションが前提である。
しかし、過去この領域に立ち入って手話通訳のあり方を充分解明する人々は日本では存在しなかったため手話通訳者の職業病はより深刻化した。
ある意味この「負の遺産」を「正」の遺産として、すなわち手話通訳そのものの中に織り込まれなければ、日本の手話通訳は本道を歩むことは出来ないと言える。
滋賀医科大学の垰田和史準教授は、手話通訳者の職業病という領域を研究・解明する中から
「手話通訳内容や手話通訳者の労働」
に重大な警告と問題提起を行い、人間の生理学的基礎を踏まえた手話通訳の改善の必要性を説き、あるべき手話通訳を提起している。
例えば、手話通訳者の労働には
「中枢神経系の高度な機能が必要」
とされることを「手話通訳者の健康管理マニュアル」(文理閣)でも明らかにしている。
手話通訳に伴う脳の使い方が質的にも高度
「手話の語順と話語の語順は異なっているため、機械的な変換では適切な表現が構成できません。
手話表現の正しい意味やニュアンスを理解し、適切な話語に対応させる必要があります。
表現されている手話や表現しようとする手話を、適切に解釈したり選択したりするためには、言葉の背景にある聴覚障害者の生活や文化を十分理解する必要があります。
つまり、手話通訳に伴う脳の使い方が、質的にも高度であり、負担も大きいということです。」
と手話通訳上の「特性」を医学的考察から解明し手話通訳の特徴を提示しているのである。
手話通訳の本質的研究が
ほとんどされていない
しかし、悲劇的なことに、手話に関わる人々や手話通訳者の少なくない人々は、垰田和史準教授の重大な警告と問題提起を単なる健康上の一側面と捉え手話通訳や手話通訳労働に関わる重大事項として捉えなかったし、考えようともしなかったのではないかと考えられる。
垰田和史準教授の提起を受けて手話通訳関係者の領域で、
「手話の語順と話語の語順は異なっているため、機械的な変換では適切な表現が構成できない」
という手話通訳が持つ本質的特性などについて検討・研究されていない。
そのため手話通訳者の健康被害は激減することはなくより潜在化し続けただけではなく、重大な警告と問題提起を検証し、手話通訳の専門性がより科学的に解明されずに現在に至っている。
日本では手話通訳や手話通訳者の存在に広がりを見せてきたが、その反面手話通訳の本質的研究がほとんどされてこないという問題を内包したたまま手話通訳の存立基盤が深刻な状況に陥ったままである。
手話通訳労働の特質な
どが熟考されていない
手話通訳士協会ホームページには、「手話通訳士の仕事」として、
手話通訳者は、相互の意思伝達が困難な人々の間のコミュニケーションを仲介する行為を行い、実際の通訳場面では両者の意見や立場を知り得る唯一の人として重要な役割を担っていることから、手話通訳者には、公正な態度、さまざまなことを理解する知識および高い通訳技術が求められています。手話通訳士試験が求めている、手話通訳者の役割と通訳技術および通訳者としても身につけておくべき一般教養を評価することは、このことを裏付けているといえます。
手話通訳士協会は、手話通訳を「コミュニケーションを仲介する行為」として「手話通訳者には、公正な態度、さまざまなことを理解する知識および高い通訳技術が求められて」いる、としている。
ここには、垰田和史準教授の指摘する「手話通訳は、機械的な変換では適切な表現が構成できないこと」「(手話)を適切に解釈したり選択したりするためには、言葉の背景にある聴覚障害者の生活や文化を十分理解する必要」がある、とする手話通訳労働の特質などが熟考されているとは考えにくい。
近年の手話通訳は
手話通訳の本道を
すすんでいるのだろうか
はたして、手話通訳は、「互の意思伝達が困難な人々の間のコミュニケーションを仲介する行為」とする「仲介」という言葉だけで手話通訳を表現し尽くしていいのだろうか。
そこからさまざまな問題が派生していないだろうか。
いやそれ以前に近年の手話通訳は手話通訳の本道をすすんでいるのだろうか、などなどの疑問が沸々と沸き上がるのを消すことができない。
そのため手話通訳が社会的に認められなかった時代にそれを認めるようにろうあ者の人びとと手を組んで手話通訳を実践的に行ない社会的認知を少しづつ獲得してきた手話通訳者が集い、グループ検討・研究を積み重ね少しずつ公表することにした。
しかし、この課題は容易に解明できるものではない。でも、あえて公表することの意味合いを理解していただければとも思う。