手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

標準性の名の下に生活の中から生まれてきた手話を否定「破壊」・地域に住むろうあ者を「否定」する危険

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手話と手話通訳の特徴を捉えた研究の深化

①手話の写実性

 手話は、「もの」の形の特徴を両手で全身で全体的に表現する、象徴的な部分を手で表現することで、全体を暗示する、などのことがある。

 まず、京都から比叡山を眺めてみると、比叡山の山なみの特徴を、どこに見いだすだろうか。

 京都に馴染み深い山。

 歴史に名を残す比叡山

 この山を京都のろうあ者は、比叡山の断層部分で表現してきた。

 比叡山に走る断層。

 その特徴を捉えて「二つの握り拳をすこしずらせて」で比叡山の形を表現する。

    手話を徹底的に禁止したため古くから住むろうあ者は
        手話を使わないと断定するのは空理空論


 ところが、滋賀県から比叡山をみると比叡山の断層部分はよく見えない。

 かって滋賀県側から比叡山をみた。

 滋賀県は、口話の発祥の地で、聾話学校では手話を徹底的に禁止したため古くから住むろうあ者は滋賀独自の手話表現を使わないと断定する人々は、空理空論で現実を見ていない。

 戦前から滋賀に住むろうあ者は比叡山の手話を比較的なだらかな二つの稜線で表現されていた。

 住むところから見る、自分の位置から見た手話表現で地名が表現されていたのである。

 もちろん京都のろうあ者の断層を表現した比叡山は、中京区、上京区左京区あたりから見た表現である。

    現実に使われている手話を認知して
     それを積み上げていくという民主主義的な発想

 これらの事から、手話の標準性がないのでダメだ、という人が昔からいた。

 特に行政はそのことを理由に手話や手話通訳を認めない理由の大きな一つにしてきた。

 しかし、それは、「標準性」の名の下に、それぞれの地域にすむろうあ者の独自的表現と歴史と生活の中から生まれてきた手話を否定し、「破壊」するばかりか、それぞれの地域に住むろうあ者を「否定」する危険性すらある。

 「それぞれの地域にすむろうあ者の独自的表現と歴史と生活の中から生まれてきた手話」を肯定しつつ「共通する手話」を見いだし、全国「共通な手話」を創り出そうという現実に使われている手話を認知してそれを積み上げていくという民主主義的な発想が見受けられない。

     ろうあ者同士の相互交流が

     限定されていた時代に形成された手話

②手話の社会的変遷

 「ことば」は、歴史とともに変化し、当初の意味とは異なって行くものである。

 しかし、考えていかなければならないのは、京都と滋賀の手話の違いが、「写実性」で「共通性」がありながらそれぞれの地域から見るということによる「違い」が見受けられたのは、ろうあ者同士の相互交流が限定されていた時代に形成された手話であり、それが「比叡山」という手話表現の違いとなっていることを知ることである。

    声は=口からでる心、と考えられてきた

③具体化から抽象化の表現

 「言葉(ことば)」の「言」は、「こころ」の意味からきている。

 すなわち「口からでる心」の意味であり、声は=口からでる心、と考えられてきた。

 口からでる「音」でないところに、注目する必要がある。

 だから、「言う」というのは、「心に思うことをことばで発表する。」ことになるわけである。

 だから手話は、「心に思うことを手を中心に全身を使って発表する。」とも言えることになる。

 二つの山の山なみと手話表現のことを書いてきたが、そのものを写す手話からそれが省略化され、次第に形態からはなれ、抽象化されて行った手話も多くある。