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手話と手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

ろうあ者と健聴者とのコミュニケーションには、決まり切ったコミュニケーションはなく、絶えず変化するものであり、それへの対応が出来ないと手話通訳者の役割が果たせない

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      浪曲 掛詞 手話通訳

事例 1-4


 京都府知事選挙の立会演説会において、さらに難しい手話通訳が別の会場で求められたことがあった。

 立会演説会では、選挙が激烈化すると弁士に対する激しいヤジが飛び交う。


このヤジに対して、現職の京都府知事蜷川虎三氏は、

「虎三が悪い、と言うなら浪曲でも唸ろうか」

と切り返した。

 

 これは、自分の名前の虎三と浪曲で有名な広沢虎造の「とらぞう」に「かけて」ヤジに切り返したものであるが、浪曲の虎造は、ろうあ者にはあまり馴染みがなかった。

 浪曲を聞くことはあまりなかったから当然と言えば、当然であるが、手話通訳者はとっさに手話通訳をすることが求められた。

 「虎」「三」「悪い」「言う」・「浪曲」(演壇の形を空で描いて、扇子で演壇を叩くしぐさ)「とらぞう」「有名」「浪曲」「唸る」(顔の表情で表す)「か?」

と手話通訳した。

 

    大観衆と一体となる手話・手話通訳の感動

 

  この演説には、会場もろうあ者も大爆笑した。

 そして、聞こえる人々も手話通訳者が、どのような手話通訳をするのかを注視していたのだろう、また手話通訳を見て意味も分かったようで手話通訳者への惜しみない拍手が送られた。

 選挙管理委員会が「静粛におねがいします。」をくり返すほどだった。

 

 さらに立会演説会が終わって、多くの聞こえる人々がやってきて、ろうあ者と握手した。

 ろうあ者も大感激だった。大観衆と一体となる感動はこの時期から更に広がっていった。

 

「虎三が悪い、と言うなら浪曲でも唸ろうか」
という手話通訳。

 

 一瞬思考して、手話通訳したことについても、後々、手話通訳者の中で検証されたが、ろうあ者から絶大な賞賛が寄せられたことも含めて手話通訳者の喜びとなっていったことは言うまでもないだろう。

 

 ろうあ者から語りかけられたときに

    手話でどのように答えるか、の手話研修

 

事例 1-5

 

 手話通訳者の研究・研修は、音声語を手話表現することを主目的にはせず、ろうあ者から語りかけられたときに手話でどのように答えるかと言うことも追求してきた。

 

 その例のテキスト(1969・昭和44年当時の京都市認定手話通訳者の研修)をいくつかあげておくと、

 

 ろうあ者⇒
      「大阪から転宅してきたのですが、転入手続きを教えてください。」
 手話通訳者⇒
       答える。
 
 ろうあ者⇒
      「私たちろうあ者は、何故同じ職種についても健聴 者より賃金が低いのでしょうか。」
  手話通訳者⇒
       ろうあ者と応答する。


 手話による会話

 

 手話通訳者⇒
       「この頃どうしてお母さんと話さないのですか?」
 ろうあ者から⇒
       「お母さんと話してもつまらないからです。それにめんどうです。」


   ……  以下略 ……


  このような手話通訳研修は、ろうあ者の協力のもとに行われたが、あくまでもろうあ者の悩みやねがいや、聞きたいこと、言いたいことを手話通訳者が学習しつつ、時には手話通訳者の立場になり、時にはろうあ者になるという相互の立場からの手話研修が行われた。

 

     「読み取り手話」とか「聞き取り手話」とかのような
       分離した手話通訳の考えは全くなかった

 

 自分が手話通訳する。

 逆に手話通訳の手話を見て手話で応える。

 

と立場を入れ替わることで手話通訳が成立しているのか、コミュニケーションが成立しているのかを検証し、学ぶ研修であった。

 

 当然、ろうあ者からの部分は、ろうあ者の人々の協力を得て応えてもらい、それを手話通訳して、応える、方法も取り入れられた。

 

 従って、この「やりとり」はろうあ者の応えや手話通訳者の応えや質問等々でかぎりなく変化した。

 

 それは、当然のこととして考えられた。

 

 手話通訳者とろうあ者と健聴者とのコミュニケーションには、決まり切ったコミュニケーションはなく、絶えず変化するものであり、それへの対応が出来ないと手話通訳者の役割が果たせなかったからである。

 

 この研修は、それだけ多様な変化を持たせて行われたが、、協力してもらったろうあ者の質問や応えや手話表現は千差万別であったため逆にろうあ者も手話通訳者も爆笑したり、考え込んで学び合うことの出来る研修であった。

 

 この双方向のコミュニケーションの成立は常識事項であったため、「読み取り手話」とか「聞き取り手話」とかのような分離した手話通訳の考えは全くなかった。

 

 それが、常識であったのである。