ろうあ者の協力を得て、それぞれの会話やコミュニケーションが成立するように絶えず研究・研修された。
ここには、1960年代後半から1970年代以降全国の手話通訳者の一部でよく言われた「逆通訳=ろうあ者の手話で語ることを通訳すること」や「聞き取り通訳は形ができたが、読み取り通訳は空間活用までしかわかっていない。」などなど、「聞き取り」や「読み取り」と言った「聞こえる人の話を通訳する。」「ろうあ者の手話を通訳する。」とする考えはまったくなかった。
手話通訳者の役割の「崩壊」
だが、「聞き取り」や「読み取り」を対比させ、「聞こえる人の話を通訳する。」
「ろうあ者の手話を通訳する。」とする考えは、次第に強まり、2000年に入ると当たり前のように話されるようになっている。
これは、悲しむべきこととするよりもむしろ手話通訳者の役割の「崩壊」と言ってもよいとも言える。
なぜなら「手話はろうあ者の言語」と言いながら、ろうあ者の手話が「読み取れない」「読み取りにくい」「わからない」としているからである。
手話通訳者は、ろうあ者が手話で語っていることを「読み取り」、音声や文字にする手練(スキル)を持たなければ手話通訳と言えない。
見失われている
誰のための 何のための手話通訳
誰のための、何のための手話通訳であるかが、根本的に見失われる傾向は、どこから出てきたのであろうか。
1980年代になると各地でろうあ者が講師となり手話講座が開催されていったが、少なくないろうあ者から「最初は熱心に学んでくれたのに……最近は、私の手話が間違っている、と言われる」という声が寄せられた。
健聴者が、講師であるろうあ者に対して「手話が間違っている」と健聴者が決めつける理由のほとんどは、全日本ろうあ連盟の出版「私たちの手話」に「掲載されている手話」と「ろうあ者の使っている手話」が違い、前者が正しくて、後者が誤りとする理屈であった。
この重大な問題が、曖昧にされたまま全日本ろうあ連盟の出版「私たちの手話」が、手話の「標準」とされ、それが次第に「基準」から「絶対的な手話」とされ、それまで自由に表現されていたろうあ者の手話はブルドーザーのごとく踏みつぶされるごとく「消滅」させらたとも考えられる。
このことを「声なき声」として叫びをあげているろうあ者の「声」は、届いたと言えるだろうか。
共通する事項とそうでない事項を
把握しする手話通訳
1960年代後半から1970年代かけて京都で手話通訳の手練(スキル)として、絶対的基本とされたのは、「事例 1-3 」でも述べたように手話通訳者は、集会に来たろうあ者の手話表現の全容を把握して、手話通訳するということであった。
ろうあ者の使っている手話表現は多様であるが、共通する事項とそうでない事項を把握しする。
そのため集まっているろうあ者の中で、手話表現が違う場合は、二通り、三通りの手話をして、「意味」・「同じ」と手話通訳する、などのことが行われた。
この「意味」・「同じ」という京都における手話表現は、手話通訳上重要な意味を持った。
それぞれの手話を「共通」であると手話通訳するからである。
ここに、手話通訳の手練(スキル)があった。
手話は、その手話単語が少ないから手話通訳できないということではない。
こういう人々は、手話がいくつかの組合せで無限に表現出来ることすら解っていないのである。
言語、言語といいながら、言語を知らないで言語を言って知った被りをする人はいないだろうか。
じゃあ言語とは何を言うのかを問いかけても説明出来ない人が多すぎる。
今話題の話がTVで放映されても、すでに使われてきた手話を組み合わせて表現出来る「知恵」すらもないと言えば言い過ぎるだろうか。
そして新しい手話では、それは古い手話だというが手話の基礎知識の欠乏は明らかである。
それで収入を得ようとしているのだから、始末が悪い。
わかちがたい同一のもの
1960年代後半から1970年代nにかけて京都のろうあ者が日常的に使う手話は、その数は多くはなかった。
しかし、手話の「組み合わせ」は、「多様」で、その「組み合わせ」は無限で、かつ無限の手話表現がされていた。
そのことを学んで、手話通訳がされて来たのである。
京都では、「聞こえる人の話を通訳する。」「ろうあ者の手話を通訳する。」は、「わかちがたい同一」のもので「聞こえる人の話を通訳する。」「ろうあ者の手話を通訳する。」のどちらかしかできないというのでは、手話通訳者とは言えないという考えであった。
ろうあ者の手話表現=「声」を
手話通訳者が通訳できない
のは手話通訳者として失格
ろうあ者の手話表現=「声」を手話通訳者が通訳できないと言うことは、手話通訳者の失格を意味した。
1960年代後半から1970年代にかけての京都のろうあ者は「なんの規制」も「制限」もなく各々が自由にのびのび自分らしさを籠めた手話表現をしていたため、それを最大限どこまでも尊重するために手話通訳者は、かぎりなく実践的に学んだのである。