手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

 忘れられている 他から干渉されることのない自由な手話が飛び交った時代

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     ろうあ生徒同士の手話による対面会話は維持され、伝承されて

 

 盲唖学校で手話法から口話法になっても、ろうあ生徒との激しい対立と葛藤が繰り返されたものの時間とともにろうあ生徒同士の手話による対面会話は維持され、伝承されていき、手話による会話は何ら変ることはなかった。

 

 ろうあ生徒は時には秘密裏りに、時には公然と手話による会話を盲唖学校でも社会でも使用した。

   手話による会話はとがめられることはあっても内容や表現まで干渉さえることはなかった

 

     秘密裏に会話され、秘密裏に伝承された手話

 

 健聴者がろうあ生徒が漠然と手話で会話をしていることは分かってもその内容を理解できなかった故にろう学校の生徒にとって手話による会話はとがめられることはあっても内容や表現まで干渉さえることはなかったのである。

 

 秘密裏に会話され、秘密裏に伝承された手話は、どんな「弾圧」や「干渉」にも立ち消えることはなかった。

 

 この手話をコミニケーションとしてきたろうあ者の血と涙の滲んだ歴史を知らずして手話を語れようか。

 

      干渉されることのない自由な手話が飛び交った

 

 そして、それらのことは、社会生活を営むろうあ者に引き継がれていった。

 そこには、他から干渉されることのない自由な手話が飛び交った。

 

 特にいくつかの手話を巧みに組み合わせたりすることで、ひとつの手話が自由に形成されることによって、多様な意味を持たせることの表現方法を生み出していったのである。

 

   ろうあ者の人間的想像力を理解しようとしない傾向の克服

 

 手話が、ろう学校で「否定」され、「口話」が強要されたと主張している人は、困難や否定が対置されたときにそれを「呑み込み」自分たちの会話方法を自分たちなりにまとめあげていったろうあ者の人間的想像力を理解しようとしないのである。

 

  知ろうともしなかった。

 

    文字として書いた健聴者の記録が

     重んじられているのは嘆かわしい事態

 

 自分たちの会話方法を自分たちなりにまとめあげていったろうあ者の人間的想像力が文字として遺されていないため、文字として書いた健聴者の記録が重んじられているのは嘆かわしいことである。

 

 口話と手話の対立という図式は、ろう教育のすべてではないが、教育を受けたろうあ者から直接聞き、調査した、また伝承されたことは、手話での会話は途切れることはなかった事実である。

 

 ろう学校の一部の教師は、口話で徹底したと思い込んでいたが、生徒たちのコミニケーション抵抗を知ろうともしなかった。

 

 いやそんな能力はないとする蔑視はあったと言えるだろう。

 ろうあ者の自分たちのコミニケーションを守る動きは健聴者には「非合法活動」で自分たちにとっては「合法活動」のように絶えることはなかった。

 

   ろうあ者の人間的想像力で形成された手話表現

 

 それ故、健聴者が手話を知り、ろうあ者の人間的想像力で形成された手話表現に干渉・介入していることを認めることが出来なかったのである。

 

 手話にとって、手話で会話するろうあ者にとって受難の時代は、健聴者が過去の創造的領域で形成された手話を何ら理解することなくただ単に手話を知り、手話を肯定しつつ干渉しだした時からであったとも考えられる。

 

 もちろんこの責任は、健聴者だけに問われることはないが。

 さらにろうあ者の人間的想像力で形成されたコミュニケーション方法は、「ひとつの手話」は、その話の流れの中で関係・定義づけられ、決定されていた。

 

   「一つの手話」の表現する意味は異なり

多義性が一層濃厚になることは、手話表現では重要な表現形態

 

 このように述べると、多義に理解できる「ひとつの手話」が存在していたことで「手話は不確かなもの」として考える傾向がある。

 だがそうではない。でも「不確実」であってもなぜ悪いのかという問題があるが。それは、今回は脇におく。

 

 「一つの手話」が、
 右手・左手(同時に動かす場合や右手・左手を異なって動かす場合などなど)
 
 左右
 
 上下

 裏表

 方向(360度の多方向)

 速度(動きの強弱)

 

によっても「一つの手話」の表現する意味は異なり、多義性が一層濃厚になることは、手話表現では重要な表現形態でもある。