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手話と手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

京都ろう学校における  「授業拒否事件」  の真相

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  「授業拒否事件」の教訓と

   教育と福祉行政の区別と役割の明確化への萌芽

 

 京都ろう学校における「授業拒否事件」は、今日では手話通訳者の関係者の間では、あまりにも有名な事件となり、手話や手話通訳分野でさまざまに解釈されているらしい。そこで、あまり触れられていない事実について、以下述べておきたいと思う。

 

 1965(昭和40)年11月18日 京都府立ろう学校で授業拒否。

 1966(昭和41)年3月3日 京都府ろう協と府立ろう学校同窓会共同 で「3・3声明」発表。

 

 との経過をもつこの事件でよく論じられるのは、「口話」教育の押しつけに対する「手話」教育への要求という歴史的事件であったとする意見である。

 

 口話」か「手話」かという対立軸をもって、この事件の本質を論じることは基本的誤りがある。

 

    何のために勉強するのか、その目的について話してほしい

 

 「授業拒否事件」の全容は、京都ろう学校の教育内容の大巾改善とともに福祉や労働などさまざまな分野と教育の区別と分担などの改革が求められたものであった側面は理解されていない。

 

まず、ここで「口話」教育の押しつけに対する「手話」教育への要求と言うことについて検証してみたい。

 

 「授業拒否事件」が起きた時期、ろう学校の生徒が要求したことは、

 

「授業がよくわかるもの中心であり、こうした差別には納得がいかない」

 

「一生懸命に質問に答えても、先生は聞こえないふりをする」

 

「授業の始業時間をきっちり守って教室に来て欲しい」

 

「手話で教えて欲しい」

 

「授業がわかるように研究をもっとやって欲しい」

 

「私たちと先生は仲よく勉強したい」

 

「何のために勉強するのか、その目的について話してほしい」
などのことであった。(聴覚障害福祉の源流 文理閣 大矢暹より)

 

   「差別」 にすり替えられた  「授業拒否事件」

 

 ところが、ろう学校の生徒の要求に応えずろう学校、ろう学校長は、

 

「高等部における指導上の上で『差別』と受けとめられる事例が発生しました。無意識ではあったと思われますが、これはきびしい教育の反省の上に立って、今迄に現れたことは『差別』であったと認めます。」(聴覚障害福祉の源流 文理閣 大矢暹より)

 

とろう学校・ろう学校長は、ろう学校生徒の極めて当たり前なろう学校での授業要求を無視して「差別」があったことの「認定」で、ことをすましてしまうのである。

 

   「差別認定」で幕が下ろされた「授業拒否事件」

 

  ろう学校では、「授業拒否事件」の背景にあった高等部生徒たちの当たり前で切実な教育を受けたいという要求が、「差別があったか、なかったか」ということに「変質」され、最終的に差別認定で幕が下ろされてしまったとしか考えられない構図である。

 

   ろう学校生徒の教育要求は「抑圧」

 

 ろう学校では「授業拒否事件」以降、生徒の要求を受けて、

 

・「授業がよくわかるもの中心であり、こうした差別には納得がいかない」

が、生徒を差別することなく、授業がよくわかる生徒にも、よくわからない生徒にも、授業実践がきめ細かくなされ、わかる授業が実践されるようになったのか。

 

・「一生懸命に質問に答えても、先生は聞こえないふりをする」

ことに対して、質問に答えている生徒に対して、充分聞き取る、聞き取ろうとしたのか。またそういう努力をしたのか。先生が、聞き取れないのは、「生徒の発語能力が悪いからだ」などと決めつける考えを基本的に改めたかどうか。

 

・「授業の始業時間をきっちり守って教室に来て欲しい」

授業をするという学校では、当たり前のことをすべての教師が授業時間を守ったか、どうか。

 

・「手話で教えて欲しい」

手話を使って授業をしている教師も少なからずいたのだから、手話で授業をする方法を受けとめ、改善したのか、かどうか。

 

・「授業がわかるように研究をもっとやって欲しい」

生徒に言われる以前に、教師の努めである授業業研究をしたのかどうか。

 

・「私たちと先生は仲よく勉強したい」

教師と生徒の立場は別であるが、生徒との気持としての交流がされたかどうか。

 

・「何のために勉強するのか、その目的について話してほしい」

教育の基本である教育の目的とそれぞれの教科目標をきちんと生徒に示して、授業を進めたのかどうか。

 

などの検討と報告がなされていない。

 

    国際動向と連動していた  ろう学校の生徒要求

 

 ろう学校長が「高等部における指導上の上で『差別』と受けとめられる事例が発生しました。無意識ではあったと思われますが、これはきびしい教育の反省の上に立って、今迄に現れたことは『差別』であったと認めます。」と報告して、最終的に差別認定で幕が下ろされてしまったとしか考えられないと書かざるを得ないのである。

 

 ろう学校で「授業拒否事件」が起きた同時期に、ILOユネスコ 教員の地位に関する勧告(1966年9月21日-10月5日 ユネスコにおける特別政府間会議)が出されている。

 

   ろう学校の生徒が要求したことは、生徒の権利と言うよりも

 国際的には教師の権利として明らかにされていた

 

 ろう学校生徒の要求と関連する部分だけを列挙しても次のようなことが国際的に「勧告」されている。(以下、LO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告抜粋)
 
 3 指導的諸原則
「 教育は、その最初の学年から、人権および基本的自由に対する深い尊敬をうえつけることを目的とすると同時に、人間個性の全面的発達および共同社会の精神的、道徳的、社会的、文化的ならびに経済的な発展を目的とするものでなけれぱならない。これらの諸価値の範囲の中でもっとも重要なものは、教育が平和の為に貢献をすることおよびすべての国民の間の、そして人種的、宗教的集団相互の間の理解と寛容と友情にたいして貢献することである。」
 
4 教育目的と教育政策


「それぞれの国で必要に応じて、人的その他のあらゆる資源を利用して「『指導的諸原則』に合致した包括的な教育政策を作成すべく適切な措置がとられなければならない。」

 

「(a)子供ができるだけもっとも完全な教育の機会を与えられることは、すべての子供の基本的権利である。特別な教育的取扱いを必要とする場合には、適正な注意が払われなければならない。」

 

8 教員の権利と責任


「教育職は専門職としての職務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。」

 

「教員は、生徒の進歩を評価するのに役立つと思われる評価技術を自由に利用できなければならない。しかし、その場合、個々の生徒に対していかなる不公平も起こらないことが確保されなければならない。」

 

 以上のことだけを見ても、ろう学校の生徒が要求したことは、生徒の権利と言うよりも国際的には教師の権利として明らかにされていたことだったのである。

 

 このことは、当時の教師や教育関係者は知りうる立場に居たが、今日ほど国際的な動きが知らされていなかったためろう学校生徒・ろう学校同窓会・ろうあ協会が知ることは困難なことであった。

 

 このことを知れば、近年叫ばれている特別支援教育などは、1966年9月21日-10月5日 ユネスコにおける特別政府間会議を無視してきた帰結でもあるとも考えられるのである