手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

1969年京都市が全国に先駆けて 専任手話通訳 を採用

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手話通訳保障における 手話通訳者の身分保障のありかた

 

 京都の手話通訳保障をめぐる取り組みについては、多くのろうあ者から手話通訳者の身分保障、特に自治体職員としての正規雇用の要求が出された。
 
 それは、1969(昭和44)年、京都市が全国に先駆けて専任手話通訳を(専任手話通訳という呼称は、主として手話通訳の業務に就くという意味で、他の業務のひとつとしての手話通訳と区別するためにつけられた。)採用したことにも明確に表れている。

 

   正規採用をしてこそ京都市が手話通訳を
   正式に認めたということになるとろうあ協会は要求


 京都市から当初提示された専任手話通訳者の身分は、嘱託職員という身分であった。
 専任手話通訳者が全国的に置かれていない状況の中で、地方自治体に手話通訳者を配置するという「実績」でも大幅な前進だった。

 このことについてろうあ協会(当時)は理解を示しながらも、嘱託身分は手話通訳の生活を不安定にするばかりか、手話通訳者の労働を京都市がどのように考えているのかの現れである。

 正規採用をしてこそ京都市が手話通訳を正式に認めたということになる、直ちに正規採用すべきだという要求をくり返した。
 そして、嘱託職員の実労働を示し、夜間・休日まで手話通訳を行っている。 このことは「嘱託職員」とすることで低賃金で重労働を強いていることになっていると京都市に激しく詰め寄った。

   嘱託職員のほうが一般公務員という制約を

                             受けることはないと京都市

 

 これに対して京都市は、市の財政状況を根拠にしつつも「嘱託職員」のほうが一般公務員という制約を受けることなく、手話通訳という労働に専念できる条件がある。
 正規採用としては、現在の状況では一般行政職として採用するしかない。
 そうなれば、手話通訳の労働以外の一般業務をしなければならない。

 したがって「嘱託職員」のほうが手話通訳に専念できるし、一般行政職なら異動しなければならないなどさまざまな問題も出てくる。などなどのことを説明した。

 このことをめぐって、ろうあ協会はもちろん京都の手話通訳者の中で次の激論がくり返された。

 

   嘱託職員の内容と位置づけを考えていくことのほうが

                       妥当ではないかの意見も出たが

 

 ①全国的に手話通訳者の自治体配置や手話通訳者の公的保障がすすめられていない中で、専任手話通訳者が行政に配置されることは手話通訳の公的保障の道を切り開くものであり、ここで正規採用に固守するよりも採用を受け入れて今後の対応の中で改善を進めていくべきではないか。

 

②手話通訳者として、正規採用されれば一般行政職員としての身分になり、嘱託職員よりも生活が確保されることは明らかだろう。
 しかし、行政の実態を見ると手話通訳者が専門職員として位置づけられることはきわめて困難であり、国などの制度がない中で手話通訳者が他の一般業務をさせられそれに忙殺されて手話通訳に専念できないことは容易に考えられる。

 したがって、手話通訳者が嘱託職員であるほうが手話通訳者としての労働に専念できるのではないか。
 むしろ行政では医師が嘱託職員としてなった場合、その待遇が優遇されるように嘱託職員の内容と位置づけを考えていくことのほうが妥当ではないか。

 

    専任手話通訳者の採用はそれですべてではなく

                 「行政でのろうあ者福祉のはじまり」

 

③手話通訳の労働は、手話通訳をするだけに限定していいものだろうか。
 むしろろうあ者福祉に携わる専門職としての側面も強いとも考えなければならない。
 一般行政職としての業務が必要とされるならば、これを契機に行政の中でそれまで皆無であったろうあ者福祉を行政の中で位置づけ、さまざまなプランを打ち出し、それを実施していく労働をしてもいいのではないか。

 

 専任手話通訳者の採用は、それですべてではなく、「行政でのろうあ者福祉のはじまり」としてとらえていいのではないか。
 行政でろうあ者福祉は皆無ということも熟慮してこの問題を考えていく必要があるのではないか。