手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

ろうあ協会 と 手話通訳者たち の協同事業の力がその基礎となって

 

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  無償の認定の財政状況とそれを凌駕する手話通訳理論
 
 京都市手話通訳認定規則は、国が打ち出してきた1970(昭和45)年の手話奉仕員養成事業、1973(昭和48)年の手話通訳設置事業、1976(昭和51)年の手話奉仕員派遣事業と対照的で独自の手話通訳制度の方向を京都から発信した点で歴史的意義があった。

 京都市手話通訳認定規則ができた当時の「三割自治」と呼ばれたように国が地方自治体の7割の権限や財政を取りあげ、地方自治体の財源はひっ迫していた。
 地方自治体の独自財源を確保することが困難であった。

     日本に住む人々のコミュニケーションを保障するための

  責任と対応策をまったく実施しなかった国

 

 京都はとなりの大阪府と比べても地方自治体の財政状況は比較にならないほど悪かった。
 そのため国の財政援助が強く求められていたが、国は手話通訳を置くための財政措置や各自治体に対する財政上の援助を何らとらなかった。

  国は、手話奉仕員養成事業、手話通訳設置事業、手話奉仕員派遣事業という名称を出したものの国家として日本に住む人々のコミュニケーションを保障するための責任と対応策をまったく実施しなかった。
 手話通訳という名称を使用してもそれはあくまで国民相互の問題とされてきたのである。
 この姿勢は手話通訳の分野では一貫した国の姿勢であったとも言える。

 

 手話通訳の公的保障と京都府ろうあ協会の果たした役割

 

 1968(昭和43)年に京都ろうあセンターが、ろうあ協会の独自事業として実質的に開設される。
 国の手話奉仕員養成事業などから考察すると、日本における手話通訳は地方が先行していたことが特徴といえる。

 その中でも特に京都ろうあセンターの事業京都府下巡回相談事業は、「手話通訳とは何か」を考える原点的な視点を与えてくれる。
 京都府下巡回相談事業は、京都市北区にあった京都ろうあセンターから列車やバス、その後は寄付された車輌で京都府下のすべての市町村に出向き、当該地の聴覚障害者を訪問し、くらしの要求を掘り起こし、生活課題を解決するために市町村行政と連携して支援を行うというものだった。

 

      文化の発信・交流、仲間と組織づくりの支援者

 

 その事業は、当初公的援助はなかったものの事業実績により京都ろうあセンターは、京都市の補助・委託、京都府の補助を受けることとなる。
 京都府下巡回相談事業の運営主体は京都府ろうあ協会で、ろうあ協会は府下の会員を大切にしながら、すべてのろうあ者の生活向上、仲間づくりの支援を目標に事業を展開していく。

 京都府下巡回相談事業は、補聴器を持参しての学習会、ろうあ者の行事等をビデオに収めての放映会を実施し、他の地域のろうあ者の様子を知りたくて首を長くして待っている地域のろうあ者の生活学習の機会となって行く。
 そして集まってきたろうあ者の中からまだみんなが知り得ていない地域のろうあ者の情報を知り、そのろうあ者の家庭を訪問し、交流や他のろうあ者の暮らしを伝え、ろうあ者の相互交流を促進していく。

 また、支援の必要なろうあ者には、行政に連絡したり、問題を提起するなどの解決の方向を打ち出して行った。
 これらの京都府下巡回相談事業は、ろうあ相談員と手話通訳者が組となって実施され、文化の発信・交流、仲間と組織づくりの支援者ということが生み出されていった。

 

    つぎつぎと京都府下 市町村に専任通訳者が採用される

 

 京都はともすれば、自治体設置の手話通訳制度である、と認識されていることが強くあるが、実際はろうあ協会と手話通訳者との協同事業の力がその基礎となって行ったのである。

 1970(昭和45)年には、京都市宇治市に正職員の手話通訳者が採用。

 1972(昭和47)年には綾部市

 1973(昭和48)年には舞鶴市長岡京市

と府下巡回相談事業はくらしの向上に向けた要求の開発、行政への要望活動への発展、手話サークルと理解者の創造へとつながって行く。
 
1977(昭和52)年京都府下の各市町村の専任通訳者などは、手話通訳者相互の交流・研究・検討を図るため集団検討を行い、次のようなことを明らかにした。