手話通訳制度調査検討委員会報告書(1985年5月20日)の問題点とその後の手話通訳制度に与えた影響 (10)
なぜ、「手話通訳士(仮称)」の提言なのかの説明も一切なく
「手話通訳士(仮称)」の提言
「手話通訳士(仮称)」の提言は、なぜ「手話通訳士(仮称)」が必要であるのか、当時の手話通訳者の置かれた現状からして「手話通訳士(仮称)」をつくる事で問題が改善されるのか、ということの説明もないまま「手話通訳士(仮称)」の職務・養成・認定設置派遣が提言されているのである。
これほど不思議で奇妙なことはない。
手話通訳制度調査検討をして、なぜ、「手話通訳士(仮称)」の提言となったのかは一切なく、名称だけが先んじているのである。
なぜ「士」という名称が突然飛び出してきたのか
報告書の全体的な特徴
以上、手話通訳や手話通訳者の部分に関わる部分のみ概括的に述べてきたが、当時報告書を読んだ人々の中で少なくない人々が「手話通訳士」という聞き慣れない言葉に驚きを隠しきれないでいた。
後日、アイラブパンフを作成する時に「士」という言葉がどこから出てきたのか、「師」と「士」の違いについて、医師、弁護士等の例を引き合いにして検討したが、何ら理解出来るものは存在しなかった。
ただ法的や身分条件では、師が士より上位にあることなどが考えられたが、なぜ、「士」という名称が突然飛び出してきたのか。
訝しがるひとが多くいた。
士とは、サムライとも読むし、日本語的には並みの人ではちょっとできないようなことをやってのける人という意味もあるが。
アイラブパンフを作成時に弁護士のM氏が法律上のことで調べたが、首をかしげるしかない、と言うことだった。
厚生省の○○士という名称と資格試験を行う先行的意図
現在では、厚生労働省(報告書以降厚生省は改変・再統合され厚生労働省となる。)は、全日本ろうあ連盟に手話通訳制度の検討を委託をしたという形態をとりつつ社会福祉制度の各認定制度を作り、国や行政の責任で行わなければならない福祉制度を「認定」と「派遣」で「改革」しようとした先行制度ではなかったかと推測出来る。
なぜなら「士」という用語についても「介護福祉士」などの用語が報告書の「手話通訳士」以降次々と出され、「保健婦」か、「保健士」か、「保健師」かなどなどの論議が引き起こされたことからも考えられることが出来るからである。
今日では、手話通訳士という「士」という用語に疑問を感じる人は少なくなっているかもしれないが、報告書が出された段階までは手話通訳者というのが通常の用語として使われていた。
結論が先にあり前文は「修飾」だったのか
報告書にもそのような用語を使いながらもそれに対する何らの考察もないまま「手話通訳士」という用語が出されてくる。
報告書を一部、二部の順序で読んでいくと、大いなる疑問が出てくるが、「手話通訳士」をつくるということが前提条件としてあって、それに不随してさまざまな文章を書いたとしたら報告書の本質が「理解」出来るかもしれない。
団体助成金や事業援助などの利益を
得るよう条件を拡大する一方で
厚生省では、手話通訳士などの各種認定制度を福祉分野などで展開していくことが政策としてあって、厚生省などの国側からそれを出したのでは、福祉分野における国の「責任放棄」と見なされるので、団体側からそのような提言が出されるように仕向けた。
団体側には、そうすることで助成金や事業援助などの利益を得るよう条件を拡大する一方で厚生省などは、国側の責任や補償を要求する運動を抑止出来る効果があると考えていたのではないだろうか。
事実、報告書が出されて以降手話通訳などのさまざまな要求を国側に求める動きは、大幅に後退し、国からのわずかばかりの事業援助のために逆にろうあ者や手話通訳者の負担のみが増大していっていると見て取ることが出来る。
手話通訳制度調査検討委員会を厚生省などの国側が打ち出していった背景には、社会福祉制度を国の責任で行うのではなく受益者負担で行うとする戦後の「社会福祉分野における大改悪」の「走り」であったことは想像出来る。
その点では、「報告書」は、書かれていることの積極面がありながら、それが評価出来ない事態を招く結果になったのである。