手話通訳制度調査検討委員会報告書(1985年5月20日)の問題点とその後の手話通訳制度に与えた影響 (11)
手話通訳制度調査検討委員会報告24年後
千葉県のT氏の重要提起を考察
手話通訳制度調査検討報告が出されて、24年が経過した今日、第一線で手話通訳をしている人々の苦悩は解消されていない。
その一例として、2007(平成19)年5月16日付けメールマガジン「語ろうか、手話について」で千葉県のT氏は、次のような問題点を指摘している。
私は、手話通訳制度は、雇用問題が解決すれば、あとは自然に解決すると思います。
通訳者の数が少ないとか、質がバラバラとか、頸肩腕障害も、通訳者の労働環境が悪いのが原因ではないでしょうか。…(略)…… まず率直に言って、手話通訳者が足りないのか? という疑問が私にはあります。
全通研が5年に1回実施している通訳者の実態調査を紹介しています。これによれば登録手話通訳者の70%が1ヶ月当たりの依頼数が10回以下です。
仮に1回当たりの依頼時間数が2時間程度としても、1ヶ月に働く時間は20時間です。時給2000円でも4万円にしかなりません。
20時間なんて、私の労働時間の2日にも満たない数字です。1ヶ月のうち、2日しか働けず、残りの日は何をすればいいと言うのでしょう。
これでは、生活していくための職業になるはずがありません。別の言い方をすれば、少ない仕事を多人数で薄く広く分担しているような感じもします。これはあまりに効率が悪すぎます。
ということで、まず需要が少ないのではないかという疑問があります。
次に通訳者の養成を見ていきましょう。
報告書では養成機関として、国立身体障害者リハビリテーションセンター学院、世田谷福祉専門学校、仙台福祉専門学校、日本福祉教育専門学校、瀬戸内短期大学、金城学院大学をあげています。
これらを全部あわせると400人を越えます。多少脱落者がいるとしても、半分生き残れば、毎年200名が手話通訳者として2年間みっちり勉強して卒業するわけです。各都道府県4名ずつ。それも毎年。
皆さんの地域で、それだけの通訳者の雇用を用意できますか?
そう考えると十分な人数が養成されているように思えます。つまり、供給過剰なのではないかという疑問があります。
さらに、市町村単位での養成講座があります。報告書では再編を提案していますが、私は問題はそうではないと思います。必要なのは、再編ではなくて廃止だと思います。国リハや世田谷を卒業して、すぐに手話通訳士に合格するのは、年に数名とのことです。2年間みっちり勉強した人でも、それぐらいなのです。
では、再編後のわずか120時間のカリキュラムを受ける人は、一体どこを目指しているのでしょう?
……(略)……とにかく大量に作ればなんとかなるというような。私は競走馬のサラブレッドのように、少人数を手間暇かけて育てるべきだと考えます。その上で、その人達には、十分な仕事を確保する。
現在の養成講座は、市町村職員、医療・消防・公共交通機関従事者への入門的な研修に振り替えた方が有用だと思います。
報告書でいまいち切れ味が悪いのは、もう一つあると感じています。
それは通訳のニーズです。
手話通訳のニーズ調査であげられているのは、医療、緊急時の対応(災害や
電車遅延などの交通事故等)、地域活動(PTAや町内会など)があげられていますが、これ以外にとても大きな潜在需要があります。
はたして 手話通訳制度は、雇用問題が解決すればあとは自然に
T氏の主張のうち、「手話通訳制度は、雇用問題が解決すれば、あとは自然に解決する」ということは、京都の手話通訳者の自治体配置の歴史的教訓から考えても「自然解決」に至らないことは明らかである。
むしろ、「手話通訳制度は、雇用問題が解決すれば、」手話通訳保障の「第一歩がはじまる」とする考えが適切だろう。
手話通訳制度調査検討委員会報告の
「罪」が表面化し続けている
しかし、全国的に手話通訳者の自治体配置と教訓を導けなかった実態があるためこのような意見が出されてもやむを得ない状況がある。
手話通訳制度調査検討委員会報告の「罪」の部分がここでも現れている。
これらのことを置いて、T氏の提起を考えてみたい。
手話通訳制度の必須条件として手話通訳者の身分保障があった。
それは人間間の相互のコミュニケーションを保障するためには、その間に位置する手話通訳者の身分が不安定ではコミュニケーション保障も不安定になるということも意味していた。
では、身分保障としての条件はどのようなものになるかということになる。
非常に安価な手話通訳の労働時間単価
2007(平成19)年におけるT氏の提起は、時給を2000円として計算しているがこの時給単価は今日のパート労働者の実態から考えても非常に高額であるとも考えられる。
手話通訳を4時間すれば8000円の日給になるとも計算されるが、ここでT氏は手話通訳の需要が恒常的に一定数ではないことを明らかにして一ヶ月の実収入が4万円と計算する。
このことを考えると手話通訳の労働時間単価(拘束労働時間・待機時間も含む)は、非常に安価であることになってくる。
高額な単価であっても、需要がなければその高額は意味を有しないと言うことになるのである。
手話通訳における「量と質」を単純に数値化してはいけない
従って、手話通訳は一回の手話通訳であっても、回数だけで判断すると収入の面でも矛盾を来すということが明らかになるだろう。
ましてやたった一回でも、非常に高度な手話通訳が要求される場合と繰り返し単純な手話通訳が必要になる場合との比較が出来ないことになるのである。
手話通訳における「量と質」を単純に数値化してはいけないところがここでも見いだされるのである。
この矛盾を解決できるのは、だだ一つ。
手話通訳者の公的身分保障しかないのである。