手話と手話通訳を考えるために 1970年2月1日 社団法人京都ろうあ協会発行資料より (8)
A君とB子さんの結婚を前後して
部落問題がろうあ者の中で話され部落問題を
十分考えていかなければならないと考えるようになつた
司会
A君は部落出身ということで結婚差別をうけたのですけれど、その事についてどう考えられていますか?
A君(山城ろうあ協会役員)
お父さん、お母さんは、部落に生まれ、苦しい経験をしてきた。
そのため、その苦しみを私に与えたくないことを考えていたらしい。
けれど結婚を前後して、部落問題がろうあ者の中で話され、部落問題を十分考えていかなければならないと考えるようになつた。
その中で自分としては色々苦しかつたことがあつた。
京都府立ろう学校授業拒否事件から差別を考えるようになった
F(ろうあセンター職員・相談員)
私たちが、ろう学校へ入つた時、部落問題は全く知らなかつた。
けれど生徒会活動を行う中で、高校生の平和憲法記念討論集会に参加し、部落問題を知つた。
そんな中で、私たちの身の回りの「差別」について考えるようになった。
「差別」はろう学校の中にも多くあり、私たちは「授業拒否」ー1965(昭和40)年ーと言われる「ろう学校差別問題」を闘ってきたのです。
ろうあ者の権利を守る運動が発展する中で
部落問題がろうあ者の中に広まつてきた
ろうあ者は、部落問題を全く知らされていない。
だから「ろう学校差別問題」に私たちと参加したB子さんが、部落問題を学習し、A君と結婚したことは大切なことだと思う。
私たちの自主的な運動、ろうあ者の権利を守る運動が発展する中で、部落問題は、ろうあ者の中に広まつてきたし、現に広まりつつある。
夜遅くまで話し合う中で部落問題を考えるようになった
C(京都府ろうあ協会理事)
A君とは十年もつき合ってきた。
ろうあ協会の活動の中から、A君と部落問題を話し合ったが、A君は、それをさけていた。
A君は家で甘やかされていたこともあるし…。
けれど結婚の問題を通して、夜遅くまで話し合う中で、A君もB子さんも部落問題を考えるようになった。
部落に生まれて苦しい経験
しかも 自分の子供か耳か聞えないため
D(ろう学校教師)
A君の両親と話し合つた時、両親は部落に生まれて苦しい経験をたくさん持っていた。
しかも、自分の子供か耳か聞えないため、よけいたじろいだと思う。
もつと自覚を もっと話しあい理解を
A君(山城ろうあ協会役員)
結婚の前から部落問題について両親と話し合っていたけれど、自分がもつと自覚を持つべきだつた。
B(両丹ろうあ協会役員)
A君のお母さんと部落問題について話し合いました。
そして、まけてないでがんばらなければ、と思うようになりました。
部落問題については、話し合ってすぐ理解出来るということでもないけでど、A君のお母さんとも色々な折にふれ、出来るだげ話し合ってゆきたいと思う。
もちろんA君とも!!