手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

差別をはねかえしていった力はどこから ろうあ者集団と離れた手話通訳はあり得ない

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     手話と手話通訳を考えるために  1970年2月1日 社団法人京都ろうあ協会発行資料より (9)

  

   差別をはねかえしていった力

 

司会
まだまだ多くの話し合いたいことがありますが、部落問題・ろうあ者問題に取り組み、多くの人が差別をはねかえしていつた力、そして、今後のみなさんの決意を話して下さい。

C(ろうあ協会理事)
 差別をはね返したのは、二人の意志が強かつたことか第一だ。
 私たちは結婚は来年でも良いのではないかと考えたけれど二人の意志は強かつたし、二人が(差別をなくすことで)闘っていつたことだ。

G(A君の友人・ろうあ協会会員)
 同時に、ろうあ協会、ろう学校の先生か二人を支えていったこともある。
 ろうあ者は小企業に働いているため、残業が終つて話をする。
 終るのかいつも12時頃という毎日だつた。
 遅くて布電がないため、自動車賃をたぐさん使つた。
 その点ではCさんが一番苦しかったのではないですか。

 

    差別をなくすため深夜帰宅の連続

 

C(ろうあ協会理事)
 妻がいつ子供か生まれるのか解らない中で、家か宇治で京都市内で話し合いを持つたりしたら帰るのが、いつも1時、2時だつた。
 そんな中で「子供が生まれた」と会社に電話があつた時「何㎏?」と聞いて「145Kg!」と聞いた時は、すつとんで病院へ行つた。(笑)
 どうも、妻が腹が大きい中で、差別をなくすため動きまわつて色々心配かけたので子供が小さかつたらしい。(笑)
 私たち、ろうあ者は聞えないため、手話通訳者は、非常に大切だけれど、特に二人を支える運動に大きな役割をしたEさんの存在もわすれてならない。

 

    なにによつてろうあ者と本当に手をつないでゆくのか
    そこらか私たち手話通訳者としての一番大切なところ

 

E(手話通訳者)
 私は毎日の生活の中で、自然とろうあ者とつき合うのか多くなり、むしろ聞える人が減ってくるという状況です。
 私は手話がいくらうまくても、ろうあ者ではないし、いくら理屈が解かつていても、いくらもがいても、ろうあ者の聞えないという感覚、感情の立場にたてない。
 自分の耳をつぶしたら、そうなるかも知れない。
 けれどそれは出来ない。
 そしたらなにによつてろうあ者と本当に手をつないでゆくのか、そこらか私たち通訳者としての一番大切なところだと思う。

 

     うあ者の権利を守るという筋がとうってなければ

 

 ろうあ者と行動を共にする中で、ろうあ者の生活・現実をみつめていく中で通訳を行なつた時、始めて、ろうあ者と手をつなぐということが生まれてくるのではないだろうか。
 そうでなかつたら通訳者は、声を手話に変える機械でしかない。
 それでは困る。
 そこに、ろうあ者の権利を守るという筋がとうってなければならない。

  

   ろうあ者として聞えないという条件をみたす手話通訳

 

 たとえば、今回の問題で、B子さんの両親の通訳を行う場合、両親の考えをどううけとめてゆくのか。
 両親と同じ考えになつていたら、両親と共にB子さんに言うだろう。
 ところが私たち通訳者は、B子さんの側にたつて通訳を行うとき、B子さんはろうあ者であることを考えなけれぱならない。
 ろうあ者として聞えないという条件をみたす通訳でなげればならない。
 聞えないものが、そう言われた時、どう受けとめるか、そういう立場で通訳か必要だつた。

 

    ろうあ者集団と離れた手話通訳はあり得ない

 

 だから通訳渚としても今回の問題を通して多くのことを学んだ。
 手話通訳は外国語の通訳でない。
 これはろうあ者集団としてもいつも考えてもらわなければならない。
 ろうあ者集団と離れた通訳はあり得ない。
 通訳とろうあ者は共に学習し、権利という問題にたえずするどくみつめていかなければならない。
 だからろうあ者の側からも、自分たちの立場に立つ通訳者を育ててゆくということは、これからの運動を発展させてゆく基盤になるのてはないかということか今回の問題を通して、確信するようになつた。