手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

アイラブパンフ 140万部 真実 手話通訳制度の深層と分岐 

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1985(昭和60)年8月20日から1988(昭和63)年3月31日までの手話通訳制度化をめざすパンフ 自然にアイラブパンフと呼ばれたパンフ普及状況 知られていない部分の概要

 

1,パンフ普及は全国で1,400,000部普及された。

 なおこのパンフは、全国的に割り当てられ普及したのではなく、各都道府県のろうあ協会・全通研からの求めに応じて送付され。そして各都道府県のろうあ協会・全通研が売り上げた金額(200円のパンフの内50円は地元の行動費とされたため150円+以下に述べる印刷会社が責任をとり10万部再度配布は、200円が地元行動費として扱われ推進本部に納めなくてもいいとされた。)が手話通訳制度化推進本部に納められた。

 

 手話通訳制度化推進本部の記録では1,229,085冊普及されたとされている。(これは最終集約ではない。)

 

 道府県のろうあ協会・全通研がひろめたパンフは、140万部であることは間違いがない。それは、配布数が140万部であることで解る。

 

 手話通訳制度化推進本部に納められた実数と齟齬があったとしても広められた数は間違いがない。

 

2,パンフの印刷費や諸経費、各都道府県への還元などを引いた後の利益は手話通訳制度化のための基金としてプールされた。そして、全日ろう連と全通研が共同で手話研究所を設立して国民からの意見に応え、団体の利益ではなくひろく国民に手話を普及する国民に開かれた手話研究所をつくるという当初の約束文があった。しかし、その後この約束ははたされずに全日ろう連がイニシアチブをとる研究所に変えられてしまった。

 

3,パンフによせられた意見はすべて各都道府県別年齢順に整理され、国民からの意見集として記録され、各都道府県に報告された。

 なお黒柳徹子さんから特別な援助があり、彼女がパンフ普及運動に賛同していることのポスター、1万枚が作成された。

 アメリカのプロカメラマンの写真を無償で使用することを快諾してくれたばかりか、推薦のコメントを3度に渡り熟考し訂正された。

 

4,1985(昭和60)年8月20日から1988(昭和63)年3月31日までに全国から30,812のハガキが寄せられ、そのハガキにはすべて手書きでさまざまな意見が寄せられていた。1,078,420字をはるかに超えるものであり、その中には各都道府県の市町村議員、都道府県議員及び国会議員の賛同も寄せられた。

 とくに、北海道が各市町村を回るアイラブパンフキャラバン隊や石川県などの国会議員との懇談会などなど多彩な取り組みの上で全国会議員にアイラブパンフを読んでもらい、意見を聞くための中央請願が行われる直前に厚生省は全日ろう連の一部役員を呼びアイラブパンフ運動の制限ー特に手話通訳者の身分保障の部分ーを加えた。

 そのため全国会議員にアイラブパンフを読んでもらい、意見を聞くための行動ができなくなった。しかし、それでも賛同の意見を寄せてくれた国会議員は、その後総理大臣・大臣・衆参議長などになっている。

 

5,パンフの普及は全日ろう連や全通研の会員が多いところだけではなく、秋田、岩手、山形、福島、神奈川、長野、石川、福井、大阪、奈良、和歌山、徳島、香川、高知、長崎、熊本、大分、宮崎などが壮大な取り組みをした。当時、手話通訳制度化推進本部でも感嘆の声が上がったのは、香川、山形、和歌山、青森があげられる。

 

6、パンフ普及の前にパンフの学習会が開かれ、普及する中心の人々はもちろん未就学のろうあ者にあらゆる方法でパンフ内容が説明された。パンフを指さし、私・同じ・考え・読んで・ください未就学の人々が寝食を忘れて普及したこと、お母さんが未就学で字が読めない、書けないと悲しんでいた娘さんから、お母さんがパンフをノートに書き写して勉強している姿を見て感動したなどの意見が寄せられた。

 これらからいわゆるアイラブパンフ運動は、一部の人々の運動ではなく国民全体に支えられた運動であったことが解る。

 この運動が、その後、手話や手話通訳の国民的理解におおいに貢献したことは明記しておかなければならないことだろう。

 ※ 2020年2月になって明らかにされたのはアイラブパンフは130万部発注されたが、10万部に印刷会社のハガキ裁断ミスがあり、印刷会社が責任をとり10万部再度無料でパンフをつくり全国に配布された。(すでに配布されたパンフのハガキの裁断ミスの部分は各地域の人々がはさみで定型になるようにひとつひとつ訂正されていた。)数の上では130万部が広められたことになるが、実質日本に住む人々に140万部ひろまったことになる。130万部のうち合同推進本部で約13万部の収支が不明であり、そのことが公開されている。

 140万部のパンフが多くの人々に読まれ、多くのかたが意見を書かれた、賛否をよせられたことになる大運動であったことが再認識される。

 だがこのパンフの収支と使われ方がブラックではないかと指摘がされてきた。

 

 特に100万部を超えた辺り頃から。善意と賛同を踏みにじる行為をした人たちは責任を持ち、過去のことであっても信頼回復のため最大限の努力をすることが期待されている。

 

 多くのかたがたが、アイラブパンフ運動で120万部のパンフが普及されたと書かれているが、正確には140万部若しくは130万部以上とされるべきだろう。

 10万、20万人の人々が手により、購入されて、意見を書かれた経過は決して見逃してはならない。

 

 ひとり一人の動きが、手話や手話通訳の理解を日本国内で広める巨大な力になったからである。

 

 この偉大な歴史を作ったのは、手話や手話通訳がほとんどなかった時代に人間性と平等を渇望し平等をねがい続けた人びとの滾る想いとそれに連帯する人びと堅く結びあい日本列島にひろがり偉大な力を形成させ、手話や手話通訳がほとんどなかった時代を大改革した数え切れない人びとの力の結集力であったと言える。

 小さな運動が巨大な運動になった歴史的事実を踏まえ、さらに手話や手話通訳がない時代に人間性と平等を渇望し平等をねがい続けた人びとの想い以上の平等を実現しなければならないのが歴史の教訓である。

 

アイラブパンフ運動は過去の終わった話ではない。生き続けている。

 

※ 画像はフランス映画「音のない世界で」(この訳が的確であるかどうか?)のパンフより

 

 

コメント 東京保険医協会がアイラブパンフのことを

 

 東京保険医協会片倉理事は、『東京保険医新聞』2017年2月25日号で署名には強大なパワーがあるとして、

 1982年に全日本ろうあ連盟は、アイラブコミュニケーションパンフ普及運動を始めました。手話通訳の制度化がなぜ必要か、というパンフレットを一冊200円で販売し、中の葉書に意見を書いて投函してもらうというものでした。2年間で日本の人口の1%である120万部普及の目標を達成し、葉書も2万8,000枚集まりました。
 一枚一枚の葉書には、保険医協会の院長署名のように個人の意見が込められていました。これによって全国の自治体への手話通訳設置が急速に進んだのです。

 

と、アイラブパンフの教訓を保険医の立場で受けとめ35年後でもその教訓が生かされています。