21世紀における手話通訳保障のあり方とその展開
コミュニケーションの自由と原則的理念
2007(平成19)年になって日本国憲法の改正に向けた危険な動きが急加速で進んでいる。
日本国憲法は、国民主権、戦争放棄と平和に暮らす権利、基本的人権の保障など世界に誇れるものである。
基本的人権における自由については、身体の自由(第18条)、思想・良心の自由(第19条)、信教の自由(第20条)、表現の自由(第21条)、居住・移転・職業選択・国籍離脱の自由(第22条)、学問の自由(第23条)、財産権の不可侵(第29条)がある。
この自由は、「勝手気ままな自由」とは意味合いが異なる。
戦前の社会において、国民の自由が束縛・剥奪・弾圧されてきたという苦い歴史の反省に立って、
「何人も侵すことのできない自由」
を意味している。
この中には当然のこととしてコミュニケーションの自由も存在していることを忘れてはならない。
この自由は原則として、国家の干渉からの自由を意味している。
身近に言えば、これらの自由に対して市町村行政が口出ししてはならないということである。
以上のことを踏まえて以下、聴覚障害者のコミュニケーションの自由に限定して考える。
身体障害者福祉法が最初の障害者を対象とした法律
日本において、障害者を対象とした法律は1950(昭和25)年施行の身体障害者福祉法が最初である。
それまで日本の法律は、全くと言っていいほど障害者への法的な支援策はなかった。
この身体障害者福祉法には、「身体障害者福祉司」を置くことができるという規定があった。
ところが、この「身体障害者福祉司」は名称のみでろうあ者にとって実効性がなかったため、ろうあ団体は「手話のできる福祉司の設置」を運動課題として取り組んできた。
この流れは今日では、「手話通訳者の設置(雇用)」運動につながっている。
日本の手話関係事業のはじまりは
厚生省の手話学習会「みみずく」への「照会状」から
1963(昭和38)年、京都市に誕生した手話学習会「みみずく」はその会活動の中に「通訳団」を結成し、聴覚障害者と社会との懸け橋となり、コミュニケーションの自由の獲得と拡大に取り組んだ。
後に、厚生省がこの活動に関心を持ち「みみずく」に「照会状」を出している。
そして、1970(昭和45)年に厚生省は、当時の要綱にあるように「主婦等」を対象とした手話奉仕員養成事業を打ち出した。
これが、日本の手話関係事業のはじまりである。