手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

「手話通訳依頼内容以外の手話通訳はしなくていい」と言うが


     最近の手話通訳事情からの再検証を考える

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  1976(昭和51)年の頃の手話通訳者とろうあ協会の話し合いでは、

 

「手話通訳者が少ない。」

 

「男ばかりの手話通訳者が多く、女性の手話通訳者が少ない。」

 

など話が出されていた。

 

 しかし、現在では、手話通訳者の増加にともない

 

「手話通訳者に対して不満があれば、別の手話通訳者に依頼をすればいい」

 

だけの話だとされているが、はたしてそのように言えるのか。

 

  多くの課題は未整理のままで事態は進んでいる。

  

  手話通訳依頼内容以外の手話通訳はしなくていい

 

 事例 7-1

 

 ある会社に手話通訳に行ったことが数回あった。

 ある時、その会社の研修会に手話通訳に行った。

 するとろうあ者のひとりから

 

「今日は私たちの研修のために手話通訳をつけてくださり、ありがとうございました。おかげで研修内容もよく分かりました。できたら、いろいろな場面で手話通訳をつけていただければと思います。今日は、ほんとうにありがとうございました。」

 

とお礼を言われので、会社の方に手話通訳した。

 

 その話の背景に職場の悩みや不満があるのに手話通訳してもらえないので言えていないのでは、と思った。

 だから聴言センターへの手話通訳報告にその趣旨を伝えた。

 

 すると聴言センターの担当者から、手話通訳の依頼と報告の中味が違うところがある。

 手話通訳依頼内容以外の手話通訳はしなくていいと言われた。

 

 会社の研修会だから会社から手話通訳が依頼されている。

 しかし、その中でろうあ者から疑問、質問、要求も当然出てくることはあり得る。

 その場合、依頼されたことではないので、手話通訳できない、ということになるのだろうか。

 

     研修の中に研修を受けたろうあ者の感想や意見は
      含まれていないとでも言うのだろうか

 

  ここで、「手話通訳の依頼と報告の中味が違う」とは、何を行っているのかがよく解る。

 

 ようするに「会社の研修会に手話通訳」として行ったのだから「会社の研修会」が終われば、そく手話通訳が終わったという「断定」が間見られる。

 

 では、会社の研修の中に研修を受けた人、ろうあ者の感想や意見は含まれていないとでも言うのだろうか。

 

   ろうあ者の会社に対するささやかな
「遠慮がちな手話通訳を付けて欲しいというねがい」

  を手話通訳したことが

 

 京都では、昔よくあった手話通訳は依頼主の手話通訳だけをすればいいという考えにも繋がる重要な問題が含まれている。

 

 「今日は私たちの研修のために手話通訳をつけてくださり、ありがとうございました。おかげで研修内容もよく分かりました。」は、手話通訳者に対する礼儀的なことばだろう。

 

 では、「できたら、いろいろな場面で手話通訳をつけていただければと思います。今日は、ほんとうにありがとうございました。」とお礼を言われので、会社の方に手話通訳した、ことが手話通訳を逸脱したとでも言うのだろうか。

 

 「できたら、いろいろな場面で手話通訳をつけていただければと思います。」は、ろうあ者の会社に対するささやかな「遠慮がちな手話通訳を付けて欲しいというねがい」を手話通訳したことが、「手話通訳の依頼」と異なると言うのであろうか。

 

 手話通訳依頼に「研修の挨拶から終了まで」とでも限定されて書かれていたとでも言うのであろうか。

 

 研修とは、・学問や技芸などをみがきおさめること・現職教育ということであり、一方向からの「通告」ではない。
 それでは、「みがきおさめる」「現職教育」とはならない。

 

    「手話通訳しました。」とだけで終わればいいのか

 

 さらに問題点なのは、ろうあ者の話から手話通訳者が、聴覚言語障害者の専門センターに報告した、ろうあ者の話から「背景に職場の悩みや不満があるのに手話通訳してもらえないので言えていないのでは、」と報告するのは、手話通訳者としての逸脱行為があるかのようにも含めた手話通訳の依頼と報告の中味が違うところがある。手話通訳依頼内容以外の手話通訳はしなくていい」と言う聴言センターの担当者の意見である。

 

 手話通訳報告は、「手話通訳しました。」とだけで終わればいいと言いたいのだろう。


 それなら、手話通訳報告は不要であり、「手話通訳しました」という終了報告でいいということになる。

 

   コミュニケーション支援を柱とする総合的な生活支援
     集団指導と相互牽制の体制を構築などなど
      京都市聴覚言語障害センターの理念と行動指針

 

  ろうあ者の要求やねがいや手話通訳保障等、手話通訳者が気づいたことを受けとめてよりよい福祉に充実させていく気持ちを打ち切る機械的対応をもとめているとしか考えられない。

 

 京都のろうあ者を中心とする運動でつくられた京都市聴覚言語障害センターは、

 

 私たちの理念

1,聞こえとことばに障害のある人ひいては、すべての人々の社会への「完全参加と平等」をめざす。
2,人々の豊かなコミュニケーションと、言語(手話を含む)選択の自由が保障される社会をめざす。

  行動指針

1,障害者と地域のねがいに基づき子ともから大人まで包括した事業の発展をめざし、手話通訳、要約筆記などのコミュニケーション支援を柱とする総合的な生活支援を展開する。

2,「京都聴覚言語障害者の豊かな暮らしを築くネットワーク」をはじめ障害者および地域組織さらに個人との協力共同運動の拡大を通じて平和で文化的、豊かで明るい日本を築く。

3,集団指導と相互牽制の体制を構築し、民主的な組織運営、職員倫理の確保を行う。

 

としている。

 

  京都市聴覚言語障害センターの「理念」「行動指針」

   が守れていないよりも大切なこと

 

  「手話通訳依頼内容以外の手話通訳はしなくていい」と言う京都市聴覚言語障害センターの手話通訳担当者の言い分は、京都市聴覚言語障害センターの「理念」である『1,聞こえとことばに障害のある人ひいては、すべての人々の社会への「完全参加と平等」をめざす。2,人々の豊かなコミュニケーションと、言語(手話を含む)選択の自由が保障される社会をめざす。』の「完全参加と平等」
「手話をの選択の自由が保障される社会」を達成されていないことへの具体的提起を切り捨てている。

 

 さらに「行動指針」の「手話通訳、要約筆記などのコミュニケーション支援を柱とする総合的な生活支援を展開」「個人との協力共同運動の拡大」「集団指導と相互牽制の体制を構築し、民主的な組織運営」に反しているだろう。

 

 ろうあ者の切実なねがいや希望などに背を向けて「手話通訳終了」とする考えの底流には、手話通訳とは何か、と言う以前の人間性を問う必要がある。