手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

紅蓮の炎を突き破って 妻と息子の安否を

 

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  (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)を再録・編集して公表してほしいとの要望に応えて。

 

    菊池さん

 まさに爆心地を通って帰宅しようとする

 

 被爆。菊池さんは爆風でとばされ、背骨が変形する。

 馬町から園田鉄工所までの菊池さんのいつもの生活を根底からひっくり返した。


 工場は全壊。

 工場の仲間全員が死ぬか負傷する。

 それからのほんのひとときを菊池さんは、飛行機が飛んでいるのかと思って空を見ても飛行機が見えなかった、として次のように表現する。

「おかしいなあと思いました。そうするうちに きのこのような雲がわきあがり、ゆらゆらとゆれるように見えました。」

と証言。

 それから意識がもうろうとして5時間ほどが経過する。

 そして午後7時頃になると菊池さんは、まさに爆心地を通って帰宅しようとする。

 その間3時間。

 菊池さんが封印していた原爆投下直後の情景が、急回転する。


 赤ちゃんをかばう母。

 空を見て驚きの顔で死んだ人々。

 累々と横たわる死体をくぐり抜けてすすむ自分ひとり。

 灼熱の地獄を焦げつくす 燃え続ける爆心地。

 赤く燃える電線。

 蜃気楼をひとり歩くようにして菊池さんは歩み続けた。

   

助けを求めている人の様子が分かっても
  手を合わせてすすむ「自分の姿」

 

 爆心地をひたすら自分の家に向けて歩き続けた。

 自分の背骨が折れ曲がっている激痛を全く意識がない。

 ひたすら妻と息子の安否を心配し続けて、紅蓮の炎を突き破っていく。

 菊池さんは、人とのコミュニケーションを忘れていない。

 助けを求めている人の様子が分かっても彼は、手を合わせてすすむ「自分の姿」しか見いだせなかった。

 

     一瞬にして紐解く

 「封印」してきた地獄図

 

 菊池さんが長年にわたって「封印」してきた地獄図を、彼は一瞬にして紐解いて行く。

 

 「封印」は、どうしようもないほど固く固く鋼で結ばれていた事は間違いがない。

 菊池さんが全通研長崎支部の被爆体験の聞き書きに応じて以降の菊池さんの「話しぶり」に現れている。

 

    被爆という強烈な事実と印象に

    「自分の姿」を見る自分

 

 菊池さんは積年の思いを「ぶちまけた」。

 が、それは、菊池さん自身も意識していなかっただろう「手話技法」で、「ぶちまけ」られた。

 「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)の菊池さんの証言の項には、3点の絵を掲載した。

 

 その絵のどこにも、「自分の姿」を遠くから「見た」「見続けた」かのように、「自分の姿」が描かれている。

 かって経験したことのない人類の被爆という強烈な事実と印象を、「自分の姿」を描くことによって、リアルに私たちに伝えようとしたからではないだろうか。

 身体のどこよりも速く飛び込んでくる情報は、目を通して瞬間的に大脳に伝わる。

 

 菊池さんは、聞こえなかった。
 目に飛び込んで来た「情景」。
 そのまま脳裏に焼きっけられた、

 

と考えるのは考えすぎではないだろう。

 

 菊池さんは、被爆直後の絵と「自分」を描くれた。

 それは絵の世界だけではなかった。

 手話表現の中にもそれが取り入れられていた。

 いや、手話表現が先かもしれない。

 

 とにかく、被爆直後の激烈な経験を「自分」を情景の中に置くことで、リアルに、そして手話の読み手を自分の経験した世界に私たちを引き込んで行く。

 

 この「二次元」から「三次元」への手話表現が展開すると手話の読み手であった全通研長崎支部の人々はいわゆる「手話を読む」という点で七転八倒の苦しみ・困難・苦労が押し寄せた。