手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

死のうと畑に横になって見上げた空 爆弾は降り注がなかった

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    (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)を再録・編集して公表してほしいとの要望に応えて。

   

   なにもかもがなくなった

 

 父が声をかけて顔をあげた人の顔。

 

「顔の皮膚もはげ落ち皮膚が剥けてはげ落ちて」しまう惨い火傷。

 

 この時のことの表現も一枚の写真に収められている。

 

 山崎栄子さんのつきだした顔と曲がって手指で顔を覆い

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それを前に動かす手話表現。

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  曲がった背と顔と曲がった指で表現し、手で覆う横顔の写真。

 

 写真が正面から撮るのもはばかれるぐらいの表情であったことは十分察せられる。
 
 なにもなくなった松山町。

 

 山里町の家は圧し潰されて何もない。

   

   死のうと畑に横になって見上げた空


 娘を求めて叫ぶ母。

 

 呆然とする栄子さん。

 

 必死で娘を捜し回る父。

 

 足下は炭が燃え続けるような真っ赤だった。

 

 家もない。

 

 姉も死んだ。

 

 3人で死のうと畑に横になって見上げた空。

 爆弾は3人の上にはもう降り注がなかった。

 

 喉の渇き。

 空腹。

 

 満たされないまま疎開地に戻る山崎さんと母は、お父さんの服を固く、堅く握りしめていたことだろう。

 

 父にしがみついて生きて行くしかない二人に残された明日。

 

 やっとたどり着いた道の尾の空と浦上の空の違い。

 

 真っ黒になっていたのは焼けこげた人々だけではなく真っ黒な雲が覆い被さっていた浦上。

 

 あまりにも対照的な道の尾の空と星の輝き。
 水のうまさ。

 今までのすべての悲惨な状況と悲しみと共に水を体内に流し込む3人。

 町内の人々から心のこもったみそ汁とおにぎり。

 父と母と栄子さんの恐怖の体験は、長くて深い傷を負いながら一日が過ぎ去っていく。     

  

強い意志を持っている人々でも
 「錯乱」せざるを得ない迷走と混乱

 

 父と母と山崎栄子さん。
 3人。

 その行動と被爆した人々との会話。

 

 3人と他の人々による手話表現で構成された証言。

 

 菊池さんの表現と趣が異なる三次元的手話表現で爆心地の状況がリアルに私たちに迫る。

 

 菊池さんは、ひとりぼっちの手話表現。

 

 山崎さんは三人称による手話表現。

 

 同じ爆心地を通ったものの、菊池さんと山崎さんの手話表現は大きく異なっている。

 菊池さんの場合の手話表現の特徴はすでに述べた。

 

 山崎さんの場合は、爆心地を通るときのコミニュケーション手段は口話であった、と文章から想像出来る。

 

 空前絶後のまっただ中。

 

どんな強い意志を持っている人々でも「錯乱」せざるを得ない迷走と混乱の事態。

 

 山崎さんは聞こえる人々の唇を瞳を研ぎ澄ませて見入っている。しかもそれを鮮やかに記録している。

 

 原爆投下という空前絶後の事態であったから、と人は言うかもしれない。

 

 そういった事態だからこそ「迷走と混乱を繰り返す精神」をどこまでも押さえつけ目で必死に事態を追わなければ生きぬかなければならないという生存意識。

 

 それがコミニュケーションを駆使して事態を把握しなければならないと駆りたてているように思える。

 

  日本手話とか日本語対応手話と論じるより先にこの空前絶後の中で生き抜いたろうあ者の手話表現を読み取らなくして、見抜かなくして手話や手話表現は語れない、と思う。

 

 生と死。

 瞬間の暗転した地獄風景。

 

 視覚でとらえ、視覚で語り、それすらも解らない人々にメッセージを伝える。

 

 人間としての偉大なとり組みが長崎で行われている。