(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)を再録・編集して公表してほしいとの要望に応えて。
漆黒の闇の中から一条の光を求める
生きること、と、死ぬこと。
強烈な選択を迫られた時、聞こえない人にとっては視覚を最大限生かし続けて情報を把握。
目に飛び込んでくるものをすべて網膜に写し出し、生きるすべを見出していかなければならない。
漆黒の闇の中から一条の光を求めることにも等しい行為なのである。
迷走と混乱を繰り返す精神を押し殺して見続けた。
自らの生存を守るための何ものでもない。
生存するための必死の形相と回りの消すことのない情景は瞳の奥深くに残され続る。
苦渋に満ちた生活 少し安定した生活が
山崎さんの姉の死。
親類の人の死。
時津での赤裸に語られる生活。
島原への転居。
また時津へ。
山崎さんの生活はめまぐるしく変化する。
再び長崎市内での生活。
少し安定した生活が山崎さんに戻って来る。
彼女の生活に輝きを与えたのは、ろう学校時代の友人との再会。
原爆が投下されて以降1年の月日が流れていた。
この1年間という月日を考えただけでも、山崎さんたちの苦渋に満ちた生活が推定される。
事実を知ることの時間的差異とその長短
1年経って自分たちの頭上に投下されたのが原爆だったことを知った山崎さん。
聞こえない人々が、被爆したこと。
アメリカによって原爆が長崎に投下されたこと。
事実を知ることの時間的差異とその長短は、聞こえない人々の「学習歴」と置かれた状況の反映でもある。
山崎さんは、原爆写真展で初めて原爆投下の全容を知り、恐怖で身体が震えたと証言。
瞳の奥深くに残され続けた情景の全容
迷走と混乱を繰り返す精神を押し殺して現状を見続けてきたにも関わらず……。
その瞳に残されたものはあってもその全容は、知らされていなかった。
聞く権利。知る権利。
聞こえない人々の学習会でこれらの言葉が当たり前のように交わされることになった。
ほんの最近までそんなことすらおぼつかないという現実がありすぎた。
山崎さんは、そのことを証言の最後の部分で鋭く指摘している。
瞳の奥深くに残され続けた情景の全容を、長崎の聞こえない人々が知ることが出来るようになったのは原爆投下後50年を前後するというのは、あまりにも残酷すぎる。
その教訓を引き出すこと抜きに、これからの聞こえない人々や日本人の福祉や生活や未来は語れない、と思うのは、はたして私だけだろうか。
新しい世紀。今、私は自問しながらペンを走らせている。