(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて。
情景……情景……情景……と
表現することで
手話の見手に
自分が見た情景を焼き付けようとする
戸惑い、震える。後山さんの手話表現は、一つの流れを形成できない断片的で途切れ、途切れになる。
文中、……で表現されているのは記憶が途絶えているのではない。
表現できない向こうの情景と息を飲む緊張が後山さんのポッ・ポッとした手話表現を生み出している。
被爆した直後の状況を菊池さんは立体的手話表現で表現し、山崎さんは、三人称を中心とした人々とのコミニュケーションの再現で表現している。
ところが、後山さんは、情景……情景……情景……と表現することで、手話の見手に自分が見た情景を焼き付けようとする。
3人被爆証言は、それぞれの手話表現を駆使して被爆直後の長崎の情景がひたひたと私たちの眼前に迫ってくるように表現る。
意識的・意図的にないにしても手話表現が、無限に多様であることをしっかりと私たちに提示してくれる部分が後山さんの手話表現にも見られる。
誰も教えてくれんやった
聞こえる人々でさえ何がどうなっているのかまったくわからない状態。
更にそれに幾重もの輪をかけて後山さんには何もわからない事態が過ぎ去って行く。
「誰も教えてくれんやった。」
この言葉は重すぎる。
私たちは、被爆したという事態だけに目を向けるのではなく非常事態の時に何が一番切実なことであるか、ということを後山さんが次世代に告げていることも真摯に受け止めるべきだろう。
後山さんには被爆以降も悲劇が待ち受けている。
天草での疎開といじめ。
28歳で結婚するが酒飲みの夫の暴力で家を出る。
二人の子供を置いて。
密かに見る子供の様子と子どものこころ。
解りにくい小難しい手続きをアパートの人々の援助で成し遂げる。
やっと子どもを引き取ると後山さんは働けない身体になっていた。
後山さんの状況を素直に受け止めてくれた二人の息子。
目の中に入れても痛くない子どもたちとの幸せは一時。
次男は船の作業中に縄が身体に巻き付き海中で死亡。
51歳頃に身体全体が浮腫む。
原爆病院に入院以降再病の不安に脅える日々。
見落としてならないこと
最後の証言部分の「苦か思いは、もう好かん。」は、後山さんの人生のすべてを言いつくしている。
被爆以降の彼女の運命は、通常人々が味わう人生の苦しさに更に「哀しみ」が塗り込められ続けられた。
「哀しみ」が塗り込められた真の原因が、「8月9日、雲」であることを56歳頃に初めて理解できた後山さんは証言する。
「もう、二度といやばい!!」と。
被爆以降の後山さんの証言には、いい知れない気持ちを込めた…………の手話表現がつづく。
見落としてならないことがある。
「当時は、手話のできる人もいなく」
と言う言葉である。
もしも、という言葉を今日の段階で投げかけるのは適切でないかも知れないが、もしも、後山さんが求めた生き方や人生に手話通訳が保障されていたら、後山さんの人生はどのようになっていたのだろうか、と考え込む。
運命そのものを好転させる
重要なポイントに手話通訳が存在している
人の死や不運な出来事は避けようがないことかも知れない。
それを「運命」と言う人もいる。
でも、でも、もしも手話通訳が保障されていたらどうだったのだろうか。
少なくとも、人々が味わう人生の苦しさに更に哀しみが塗り込められ続けられた苦しみは、少しでも少なくなっていたことだけは間違いがない。
後山さんの気持ちが、癒されるだけではなく、運命そのものを好転させる重要なポイントに手話通訳が存在していること、を後山さんは訴えている。
「苦か思いは、もう好かん。」
「もう、二度といやばい!!」
は、後山さんの苦しみと悲しみの人生からの新しい人々の生き方や人生を創り出す新鮮なアピールでもある。
そのように考えると扉の写真の後山さんのゲートボールをしている柔和な顔の意味が解ってくる。