手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

松井さん80歳 「阿修羅」のような顔と全幅の信頼を置いた姿と心からの安堵の顔

 

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   (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて。

 

    安堵感だけが存在している空間

 

 「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)の扉の写真の松井さん。

 右手を支えにして笑顔だらけの顔を控えめに縁側から見せている。

 

 背を少し斜めにしているが、支えにしてる右手はすっきりと手前に伸びきっている。

 左後方から柔らかい光りが射し込む。

 やすらぎだけが松井さんの写真のすべてである。

 

 安堵感だけが存在している空間。

  その一瞬をカメラマンの豆塚さんが留めた。

 

    「阿修羅」のような顔をしている、と

 

 それまで私は、松井さんの姿を、「戦争、原爆大嫌い 平和だいすき」という扉の写真から4ページ以降の被爆証言の写真しか目にしていなかった。

 

 松井さんは、「阿修羅」のような顔をしている、と思いこまざるを得なかった。

 そう思いこんでいた私の頭にカメラマンの豆塚さんの一枚の写真は衝撃を与えた。

 

 能楽で、舞って能面をサッと付け替えるような展開がぐいぐい迫ってくるような印象。

 

 写真二枚で被爆の凄まじさが訴えられ、過去と現在が高らか宣言される。

 

 松井さんの文を読むまでもなく写真は、私たちに言葉に出来ない事態とその変化を訴える。

 

 松井さん80歳。

 

 彼女はこの時初めて被爆体験を語りそれを記録することに快く応じてくれた。

 

 高齢でありながらも人として炎を燃やし続けて語ってくださったことに改めて感謝の言葉を贈りたい。

 

     語られているところに哀しみが滲む

 

 彼女は戦前「手真似(手話)」を中心とした授業を受け、そこから文字を獲得する教育を受けている。

 

 この教育はどのようなものか一定想像はつく。

 

 聞こえない人への教育方法としてどれだけの蓄積と実践が重ねられていたのか、は時代を踏まえた吟味が必要とされのだが。

 

 口話教育が主流ではなかった時代という事実だけ書き留めておきたい。

 

 彼女は、ろう教育を充分受けられないまま友人と離れ自宅での和裁と家事という生活に追われる。

 

 結婚は32歳。

 

 聞こえない人同士の好き合っての結婚。

 

 夫は家具職人として働き三人の子供が産まれる。

 

 子どもの夜泣き。
 授業参観のこと。
 運動会はごちそういっぱい作って。

 

とサッと語られているところに哀しみが滲む。

 

   眼前に飛び込んできたのは
 天空を舞う龍が

   炎を吐くよりすざましい光景

 

 近所の人々の暖かさ。

 

 子どもたちも素直に育ち悲しい思いをすることもなかった。

 

 戦前の戦争への道をすすむ社会不安の中で松井さんたちの家族に、ほんのり、ゆったりした時間が流れていた。

 

 松井さんたちは、幸せに暮らしていた。

 この幸せは誰も奪えないはずであった。         

 松井さん40歳。

 

 あの8月9日は、3歳になる娘を連れて浜町に空襲を恐れての買い物。

 浜町、船大工町と歩いてきた時、空高く黒い丸いものを見る。

 

 寄合町を通り、西小島に入る階段にたどり着いた時、原爆が炸裂する。

 空前絶後の爆発。

 

 恐怖と不安で泣く娘を必死に抱きしめ隠れ続けた3時間余。

 

 松井さんの眼前に飛び込んできたのは天空を舞う龍が炎を吐くよりすざましい光景。

 

 真っ赤な炎は街をぺろりと飲み込んでいた。