手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

きのこ雲を三段階に色づけして表現する 極限のショックを受けてつつも冷静な眼差しを失わなかった

 

f:id:sakukorox:20161223115451j:plain

 

  (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

      手話を学び続けたことの返礼だろうか
       それにしては哀しすぎる

 

 手話から文字。

 

 その文字を読むことで手話が浮き出てくる。

 

 そして情景が見える。

 

 極限の哀しみの中で生き生きとした情景が、文字を読む私の目の前に流れ出す。

 何度読んでも、何度考えても涙とともに不思議な時間と空間が流れてくる。
 
  手話を学び続けたことの返礼だろうか。

 

 それにしては哀しすぎる。

 

   きのこ雲を三段階に

 色づけして表現する佐々木さんの証言

 

 強い印象とその強さを高度表現によって伝えられるとその人が体験した時間と空間に引き込むことが出来る。

 

 手話を幾重にも学んだものに深く立体的に理解させてくれるが佐々木さんの手話表現に感服せざるを得ない。

 

 ここで記しておかなければならないことがある。

 佐々木さんの手話での証言の中にいわゆる「きのこ雲」の色を「下は黄色、上はネズミ色、その上は黒色」と言う表現があった。

 

 手話通訳問題研究誌を編集しているとき、この佐々木さんの表現を確かめて欲しいと全通研長崎支部に依頼をした。

 

 きのこ雲を三段階に色づけして表現する佐々木さんの証言と同じことを他の人々もしているだろうか、という依頼だった。

 

 きのこ雲の下が黄色=オレンジ色というのも気になった。日本でで出回っているアメリカ側からの写真の多くは、きのこ雲を黒で表現していたからである。

 

 全通研長崎支部からしばらくして返事がきた。

 

 きのこ雲を見た地域、

 角度できのこ雲の色をさまざまに表現する人々が居ること。

 

 きのこ雲の色具合を表現する人の証言から、逆にその人が居た位置が分かることなどの報告だった。

 

 4ページ余に書かれているにすぎない佐々木さんの原爆投下直後の長崎の様子。

 

 ひとつひとつを検証すれば、佐々木さんがどれほど微細にものごとを見ていたか、極限のショックを受けてつつも冷静な眼差しを失わなかったかがよく分かる。

 

 それでも佐々木さんは、決して爆心地点を訪れることをあきらめないでいた。

 

     佐々木さんの

「爆弾の巨大な穴」を探し続けるわけ

 

 原爆が投下された直前、佐々木さんは23歳。

 

 危険を顧みようとせず原爆投下地点を探索する。

 

 8月10日も彼は仕事に行く振りをしながら心底は、「爆弾の巨大な穴」をあくまでも見つけようとする。

 

 あれだけの爆風と爆弾。

 

 「特別大きな穴があるだろう」と長崎市内の全滅の惨事を目の当たりにして佐々木さんは、4日間にわたって「その証拠」を「見て」確かめようとする。

 

 菊池さんもそうだったみんなが止めるのを振り切って、爆心地点を歩いた。

 

 出口さんも上野町のろう学校に行ったのだから爆心地点を求めていたことは察しがつく。

 

 佐々木さんの「爆弾の巨大な穴」を探し続ける時間には、聞こえないとことと大きな関わりがあることを理解しなければいけないのではないかと考える。

 

    原爆は上空で炸裂した が 巨大なくぼみが出来ていた

 

 聞こえない人々にとって急激な変化や予想もつかない状況が襲いかかってきたとき、事態を「自分の目」で見て、「納得」しつつ飛び散った「自分の心の安定」を呼び戻し、整理していく突き上げるような衝動が内面から生まれてくるのではないか、と思えてならない。

 

 原爆は、長崎上空で炸裂したため投下地点の地上は大きくえぐれてはいなかった。

 でも、巨大なくぼみが出来ていた、と爆心地点で被爆した人から聞いていた。