(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ 佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
心の空間を彼は埋めることが
出来ないまま64歳
私は、佐々木さんが四日間もかかって、ナゼ執拗に原子爆弾の穴を探そうとしたのか、ということを深く深く考えることは、非常に大切なことだと考える。
衝撃的な出来事。
一瞬にしていままでと異なった世界が眼前に迫る。
生きているものが瞬時に死んでいく。
徐々に死んでいく。
人類が経験したことがない人間の残酷極まり死に姿。
佐々木さんの眼に瞬時にしてそのことが飛び込んできた。
その状況と原因を自分の目で確かめ、目で確かめることで、自分のなかでたしかさを認識し、自分が直面した事態を、なんとか、なんとか、必死で理解しようとする。
佐々木さんが、見つけることが出来なかった程度の穴だったからこそ、また悲劇は無限大になったのだ。
原爆投下地点の穴は埋められても心の空間を彼は埋めることが出来ないまま64歳になって初めてみんなに吐露してくれた。
心の奥深でズタズタにされた気持を
暖かく支えるものはなかったんだろうか
佐々木さんの人生に心の奥深でズタズタにされた気持を暖かく支えるものはなかったんだろうか。
日本は、政府は、アメリカは、いったい何をしていたのか、と考え込まざるを得ないのははたして私だけだろうか。
新しい論争ではない
「手話と口話の論争」
最近私は、ろう教育の現場の中で、手話を取り入れた教育を進めるのか否かという「手話と口話の論争」が一見「始まっているかのように見受けられる。
でも、それは、新しい論争ではない。
活きる上で肝心要なことが抜け落ちている。
聞こえない人々にとっては、まず飛び込んでくる情報は、視覚的な情報である。もちろん音もあるが。
聞こえない人々にとっては、視覚的な情報は認識では優位に立つものであることは言うまでもないことだろう。
その点では、手話は視覚的言語として確実に有効なものなのである。
手話が聾学校で使われ教えられたとしたら
教育はすすむのか、と考えれば
が、しかし、では視覚的言語としての手話が聾学校で使われ教えられたとしたら(多くのろう学校では現実的に取り入れられたり、黙認されてきたが。)それで教育はすすむのか、と考えればそうでないことが解るだろう。
手話さえ出来れば、と言う切実なねがいは認め合いながらも手話が出来る先生はいい教育をするということは別のことである。
京都で著名な手話が出来る先生がいた。
その先生の授業や教育内容は優れて生徒に理解と学習能力を高めたとは言えない。
伝達手段と理解と学習は相対的別問題なのである。
ここでこのことを述べることは差し控えるが、私たちが学ばねばならないのは、佐々木さんが被爆体験だけでなく視覚的情報と認識という問題まで証言し提起していることを読み込まなくてはいけないと言うことである。
言語と思考の問題について古くから考えられてきた。
だが、未だに解明していない、解明しきれていない人間の根本的な問題であると考えられる。
視覚的な映像である手話は、三次元的・四次元的表現に動作や方向などの表現が加わるため当然のこととして音声言語に対応しない、文字に対応しない、部分が多くある。
不可能性・不可知論が横行し
断定してしまっている
どのように文字化にすることは不可能であるとか、音声化していくことは不可能であると、不可能性・不可知論が横行し、断定ししてしまっていいのだろうかと思う。
言葉や文字に表現しにくい手話表現にあえて挑戦し、ろうあ者と共に共通理解・共通認識という可能性をどこまでも拡大し、コミュニケーションで「断絶」された人々とのへ連帯の和を送るのが手話を学ぶ人々の熱き想いではないか。
思い出すのもたえきれない地獄以上の地獄をあえて信頼し、聞こえる人々へ伝えようとする気持ち。
絶望しかなかった中で希望の星を見つけ、それに縋り付きながらも伝えようとする、伝えてきた佐々木さんの証言から、視覚的認識が先行するという事実とともにともに学び、教え合い、真理を追究する教育展望も見いだせる。
それをしないことには、佐々木さんの気持ちは本当に理解されてたと言えない、と考え込んできた。