(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
笑顔だらけであまりも若々しい彼女の変容
東さん。
彼女を想い出すといつも笑顔が浮かぶ。
笑顔の中の容姿しか浮かんでこないのは、なぜか不思議。
東さんとは幾度となく会っていた。
しかし、全通研長崎支部創立十周年記念の時に出会った東さんの表情はすつかり変わっていた。
笑顔だらけであまりも若々しかった。
こんな事を書いたら「笑って怒るだろう」と思うが、笑顔しか見えなくなる以前の彼女には、どこかに底知れぬ深い影を抱え込んでいた。
激しい刺々しさも感じられた。
のに、笑顔。笑顔の中でしか生きていない、という東さんの変身に人間発達の無限の可能性を垣間見る。
一層強く重圧を加えた 哀しみの食い違い
戦後41年経ってやっと自分の生活が持てた。
また何の気兼ねもしない自分の家が出来た、と東さんは証言している。
そこには戦前戦後の歴史と、被爆体験のあまりにも重々しい事実がどっぷり覆い被さっている。
東さんの証言。
彼女は、51歳の時、彼女は自分の生い立ちと被爆体験を全通研長崎支部の仲間に語ってくれたのである。
もう31年以上の月日が流れた。
彼女が被爆体験を語りはじめてから、どれくらい多くの月日があったのかは知るよしがない、と言えるほど多くの時間がかかった。
全通研長崎支部の仲間と私との往復文書によって彼女の心の奥底には少なくない重大な「思いこみ」を抱えこんでいることを知っていた。
幾重にも堅く蓋された彼女の思いを、彼女自身の「生い立ち」の中でうまれた哀しみの食い違いが一層強く重圧を加えて心をどんな力でもこじ開けられないぐらい堅く固く心を閉ざしていた。
思い込まされていた
事柄の重圧的な食い違い
が溶けるまでのスタンス
聞こえないという条件は、いうまでもなく健聴者との間に多くの食い違いを引き起こす結果になりがちである。
その食い違いは、しばしば時間の経過も加わって激しい思いこみを形成し、培養されひろがり続けるものである。
歴史的社会的に考えてみるとそれはある意味では、ハンディーがあるからやむを得ない事情ではあるとも考えられる。
が、彼女の場合は被爆体験を語ることによって、自分が思い込んでいった、思い込まされていた事柄の重圧的な食い違いを時間をかけてみんなとともに食らいついていく。
東さんは、精神的飢餓状態からむさぼりつくようにして、自分と回りと人間連帯を食い尽くしていったような飛び散る火花が見える。
彼女の証言の過程は彼女自身の人間性回復の日々でもあった。
人間回復の道を多くの人々と手を携えることで、否定が肯定になり、不可能とされて
いたことが可能になる。
満身の力を込めて跳ね返した
耐えきれない重圧
証言をする、またその証言を粘って粘って何度も何度も行動し話し合い支え合った全通研長崎支部の仲間の援助によって、東さんは、耐えきれない重圧を満身の力を込めて跳ね返した。
と、そのときの清々しい笑顔が彼女の顔全体を覆ったのだ。
そのことは、メイ子さん自身がそのように言い切っているようにさえ思る。
ここに手話を学びともに語り、学び合い、考えることは人間復権の道筋であり、そこには不可能を可能にする見えないエネルギーが脈打っていると言えると思う。
たったそれだけ、と思われることが本人には耐えがたい重圧であり、そこに原爆投下と被爆という地獄が加わると絶望としか言いようのない事態が産まれる。
それに人間性という新しい息吹をみんなで吹き込んだ。
この心髄にまで到達しないことには
人間としての連帯はない
手、指を器用に動かす上手な手話であり、手話学習であると形や表面にこだわっている人々。
新しい手話の概論を論じて悦に入って終始いている人々。
それらの人々をも含めて東さんの証言をもう一度学び直してほしいと切実に思う。
いや、手話をまったく知らない人々も共に人間性の輝かしい価値を改めて再確認しようではないか、そのようなメッセージが東さんから発せられていると言い切っても間違いはないと思う。