(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
聞こえない二人が、一生懸命生きていることを両親が見ていてくれているだろう、と言う気持に代表されるように、ツギノさんも芳江さんもその後の人生を真摯に生き続けていたのである。
感動は微動だにしない証言
ひたむきな心が、最後の文章で大きな展開を拓くことになる。
私が、初めてこの原稿を手にしたときから読んだときから今日まで、その部分の感動は微動だにしない。
人間の持っている可能性に限界はないということを読むたびに教えてくれている。
近所の子供たちと学校が違うため、石を投げられたり、『馬鹿、バカ』と随分はやし立てられて、苦しく悲しかったことを今でも覚えています。
学校から帰る道には、近所の子供たちが遊んでおり、私が通ろうとするといつも通せんぼをされました。
近所の人が通るのを待ち、その人の後ろに隠れ自宅に帰ったことが何度もありました。
雨の日には子供たちがいないので、雨が降ればいいなあと思っていました。
通学時の悲しく辛い思い出
暗く深い傷跡を心に落として
ツギノさんと芳江さんのろう学校通学時の悲しく辛い思い出。
忘れようとしても忘れられない、子供同士の中傷。
コミニュケーションが成立しなかったことはさらに暗く深い傷跡を心に落としていた。
戦前、ろう学校に通学する生徒は多かれ少なかれツギノさんや芳江さんと同じような目に遭ってきた。
ろう学校での友との語り合いが楽しく愉快であればあるほど、登下校時の同じ年齢の子供たちによる残酷なからかいと嫌がらせ。
それから逃げるために知った人が来るまで待つ。
まさに家の周辺の子供たちが、ツギノさんと芳江さんの味方ではなく、友人でもなかった。
その子供たちは、きっと親や家族からツギノさんや芳江さんのことを聞いていたのだろう。
いい話としてでなく。
ましてや二人は姉妹で耳が聞こえなかった。
偏見は偏見を呼び、ひろがりそれは虐げられた人々の中で蠢き続けていたことだろう。
闇に閉ざす世界に引きずる人々も
また闇の中の地獄に引きずり込まれて
ツギノさんや芳江さんは、近所の子供たちのことを親に言っていただろうか。
近所の人が来るのを待って、隠れるようにして家に帰る二人の姉妹のことは、親はもちろん地域の人々も知っていただろう。
やむことのなかった二人の姉妹へのからかい。
二人を闇に閉ざす世界に引きずる人々もまた闇の中の地獄に引きずり込まれてしまう。
原子爆弾の炸裂による大量虐殺からわずかな人々が生き残った。
二人の聞こえない姉妹をいじめた近所の子供も60歳を過ぎていた。
単純化できない
「悪かった」と詫びる深い意味
あれから、五十数年の月日が流れて、草木も生えないと言われた長崎に緑の草木が生い茂っていた。
もう、寿命ももう少し、という年齢でも忘れられなかった辛く悲しい日々のことをツギノさんは吐露する。
「昔あなたに石を投げられたり、いじめられて悔しかった」と。
と、相手も覚えているらしく、
「悪かった」
と詫びる。
過去を封印し自らの非を隠し続ける人が
多い中でなんと清々しい言葉
私は、このことの意味を深くかみしめて以下のようにに書いてきた。
聞こえなくても、負けないで生きていることを言ったツギノさんの言葉に、いじめっ子だった悪ガキの面影もない老人の心にどのような思いが去来したのだろうか。
私には、いじめられても負けないで生きたツギノさんの人生への限りない賛歌が聞こえると同時に、悪かった、と五十数年前の過去を詫びる元いじめっ子への素直な気持ちへ賞賛を贈る。
すんだこと昔のこととすまして、過去を封印し自らの非を隠し続ける人が多い中で、なんと清々しい言葉なんだろうか。
最近さらにそのことをもっと深く考えるべきだというハンナ・アレントの文章に出会った。
「昔あなたに石を投げられたり、いじめられて悔しかった」
「悪かった」
このことを本当に理解していたのだろうかと。