手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

教育と学校のうちに差別の撤廃を持ち込もうと試みは子供たちに責任を転嫁するものであり極めて不公正

 

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   五十数年前の過去をわびる元いじめっ子の素直な気持ちへ(2)
(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

 あれから、五十数年の月日が流れて、草木も生えないと言われた長崎に緑の草木が生い茂っていた。もう、寿命ももう少し、という年齢でも忘れられなかった辛く悲しい日々のことをツギノさんは吐露する。

「昔あなたに石を投げられたり、いじめられて悔しかった」と。
と、相手も覚えているらしく、
「悪かった」
と詫びる。

 

  教育と学校のうちに差別の撤廃を持ち込もうと試みることは子供たちに

責任を転嫁するものであり極めて不公正

 

 ハンナ・アーレントはドイツ出身のユダヤ人で、ナチの台頭によりアメリカに亡命するという経緯から、ナチを生んだ全体主義の分析が彼女の一大テーマでした。しかし、ユダヤ人への迫害だけではなく、1957年にアメリカ合衆国アーカンソー州リトルロックで起こった人種差別騒動、公民権運動について述べている。

 

  ハンナ・アーレントの提起は、日本の障害児教育に機械的に導入されてきたインテグレーション(integration)、メインストリーミング(Mainstreaming)、インクルージョン(英: inclusion)のも重大な示唆を与えているし、ツギノさんの証言とも大いに関連があると思う。

 

  ハンナ・アーレントは、

 

  私が黒人であれば、教育と学校のうちに差別の撤廃を持ち込もうと試みることは、成人ではなく子供たちに責任を転嫁するものであり、極めて不公正なものだと感じるだろう。

 現実の問題、それは国の法律の下で平等であり、この平等が差別的な法律によって犯されているのである。平等を犯しているのは、社会的な慣習でも、子供たちを教育する方法でもなく、黒人を差別する法律である。

 

 自分の子供に平等な教育機会を与えたいのであれば、機会の均等を確保するのであれば、わたしは黒人の子供たちの学校を改善するために闘うべきだろうし、成績が低くて白人の子供たちのための学校ではうけいれなくなっている黒人の子供たちのためには、特別なクラスを設置することを要求するべきだろう。

 

 この平等という原則は、アメリカらしい形においても万能でない。自然の身体的な特徴まで平等にすることは出来ないのである。この限界があらわになるのは経済的な条件と教育条件が撤廃されてからのことであるが、その時点では、歴史を学んだ者には周知の危険が姿を現す。

 

  社会のすべての場所に

平等性が浸透すればするほど
    差異はますます強く感じられるように

 

 人々がすべての側面でますます平等になるほど、そして社会のすべての場所に平等性が浸透すればするほど、差異はますます強く感じられるようになり、外見からして自然と他者との異なる人々はますます目立つようになるのである。

 このため社会的にも経済的にも、教育において黒人の平等が実現されるとともに、アメリカ合衆国における有色人種の差別は緩和されるどころか、深刻なものとなるかも知れないのである。

 もちろん必ずそうなるというわけではないが、そうなったとしてもごく自然のことであり、そうならなかったら意外なのである。

 まだこの危険は、現実のものとなってはいないが、近い将来にそうなるはずである。これまで起きたいくつもの出来事はその方向に進んでいることははっきりと示しているのである。

 

 

 強制された分離撤廃は、強制された分離と同じように望ましくないと言う意見を読んだことがあるが、わたしはこの意見はまったく正しいと思う。
 
  

差別を施行する法律が廃止されても
 差別そのものをなくすことはできない

 

 白人と黒人の分離は法律で施行されている差別である。分離を解消するためには、差別を施行している法律を廃止する以外には方法はない。

 

 差別を施行する法律が廃止されても差別そのものをなくすことはできないし、社会に平等を強制することはできない。しかしそれで政治体のうちで平等を強要することはできるし、実際に強要しなければならないのだ。平等とは政治体で初めて生まれるものだからという理由だけではない。

 

 平等が有効なのは政治的な領域だけに限定されるのは明らかだからだ。政治の世界でのみ、わたしたちは誰もが平等なのである。

 

   現在同じことが起きれば
同じような意見が「炎上」するだろうが
 
 このハンナ・アーレントの考えには様々な解釈と圧倒的な反対があるが、日本はしばしばアメリカの教育の模倣や適応を導入してきた経過からもう一度、ハンナ・アーレントの考えを吟味することは大切だと思う。

 

  寿命ももう少し、という年齢でも忘れられなかった辛く悲しいいじめに対して現在同じことが起きれば、同じような意見が「炎上」するだろう。

 

 でも、五十数年の月日を経て、「昔あなたに石を投げられたり、いじめられて悔しかった」「悪かった」という歴史と言葉の重みを見通しているだろうか。