(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
木戸喜久次さんは81歳で証言。もう30年も前のことになる。
1歳半という人間の発達の新しい力が形成されるときに聞こえなくなり古物商を営む父に可愛がられたとのこと。
みな優しかった
耳が聞こえないが故に「家の代を弟に継がせる」という話をはねつけたお父さんの話。
時代の風圧を跳ね返す凛々しさを見て木戸さんは育ったのだろうか。
冬、ろう学校に駆けつけ弟の弁当を少しでも暖かくしておこうという姉さんの行為は、今日の物が溢れた時代では想像も出来ないことだが、姉弟のほのぼのとしたあたたかい心の交流を感じさせてくれる。
みな優しかった。
と言いきる木戸さん。
子どもの頃の木戸さんのすべてをこの言葉で言い表しているのではないだろうか。
木戸さん8歳。
物には名前があること。
9・10歳は文字。
12歳から盲亜学校の和裁のコースを選択。
わり算かけ算の勉強が難しくなったと証言している。
小銭を握りしめて通った活動写真
はらはらどきどきしながら
紅白饅頭がもらえる日のわくわくした気持ちとあの味のうまさ。
小銭を握りしめて通った活動写真(映画)。
悪役に立ち向かう正義の味方の剣さばきにはらはらどきどきしながら、お菓子をほうばった。
活動写真を見た帰り、友人とチャンバラごっこをして、正義の味方になったり、悪漢になったり、剣で切られたり、切ったりしながら中島川あたりで走り回っただろう幼き頃の木戸さん。
小銭を握りしめて走っていった、と証言する「握りしめた手」の中に木戸さんの少年時代が入っていた。のに、それを解き放つように言われたのだから木戸が暴れたのは無理もないことだったろう。
民主主義の新たな動きをはじめていく 大正10年頃
胸ふくらむ青年期の真っ盛りの15歳に一挙に「弟子入り」という現実社会が飛び込んできた。
子の将来を思う親と子どもの夢が激しく揺れ動く。
親もいたたまれなくなり沈黙し、ふてくされた木戸さん。
この3日間は親子ともにみな優しかった時間が去り永い3日間になった。
15歳を境にして、一挙に大人の世界に飛び込まさせられる現実社会。
聞こえない子どもだからもっと多くのことを知るために引き続き学校の教育をうけさせて……とならなかった大正10年頃。
米騒動などをきっかけに日本は民主主義の新たな動きをはじめていくことになる。