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手話と手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

被爆直後の長崎の情景は決して語られていない 語ることすら出来ない

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(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

     恋い焦がれてもとめる学校

 

 生きると言うこと人生の生き甲斐が学校教育とオバーラップしていた時代。
 
 どんなに恋い焦がれても、聞こえない子どもたちから学校をいとも簡単に持ち去ってしまう時代。現在は一見まったく異なって教育は保証されているように見える。

 

 でも、恋い焦がれてもとめる学校は存在しているだろうか。

 

 恋い焦がれて行ける学校とても無理な「常識」だった時代を田崎さんたちは、潜り抜けてきた。

 

     血の海の中で失われたふたつのいのち

 

 田崎さん14歳。

 

 田崎さんにとって妹弟となったであろう新しい生命の誕生に出会うこともなく、さらに不幸なことに新しい生命とともに母のいのちも消え去る事態に出くわす。

 

 血の海の中で失われたふたつのいのち。田崎さんはどれほどの衝撃を受けたことか………

 

 それから1年余の彼女15歳の最も多感な時期、もっと巨大の衝撃が降り注ぎ炸裂する。

 

黄色のものが

広がって口に爆弾が入った

 

 8月9日。

 学校に通えなくなって家事に専念する田崎さんは、いつものように川で洗濯をしていた。

 

 その日はひとりだった。

 

 黄色のものが広がって口に爆弾が入った。

 

 恐怖に追われて防空壕に。

 

 4時間以上籠もって外に出た。

 

 家のガラスはすべて割れ、泣きながら掃除し、家族との再会し、夕ご飯を食べて就寝する。

 

 田崎さんは、次の朝、喉に違和感を感じて病院に行くことになる。

 

 家から病院までの恐怖を超える空前絶後の情景を瞳に飛び込んでことを拒絶して、ひたすら下ばかり向いて歩いたと証言する。

 

 田崎さんからは被爆直後の長崎の情景は決して語られていない。

 

 いや語ることすら出来ないでいるのだ。

 

 思春期に受けた衝撃は、彼女を一層寡黙にしたことだけはたしかだ。

 

 田崎さん37歳。

 

 父の死によって、働きに出ることになる。

 

 田崎さんは仕事を転々とする。

 

 そのうえ兄嫁とのトラブル。

 

 51歳になって本当のひとり暮らし。

 

 二畳の間より広い部屋で感激したと言う。

 

 今が一番しあわせ、と言い切る人生

 

 34歳にしてろうあ協会に入り、また新しい友だちも出来た。

 

 腹立つこともなく、気を使うこともなく、大浦診療所に通院できる、今、が一番よくて、幸せだと言い切る。

 

 朝7時に起きて、ゲートボールの練習に行き、20歳の時に撮った父と兄の写真を大切にして、たくさんのろうあ者の仲間と暮らす日々。

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 顔中笑顔にして手話で語る田崎さんに人生の喜びの意味を味わう人も多いことだろう。

 

 物心つき、希望に胸を一杯にする人生一番の楽しい時期に、あらゆる哀しみを味和された田崎さんは、今、もう一度思春期を潜り抜けているのかもしれない。

 

 それが証拠に、P143の田崎さんが証言している写真の顔は、まさに思春期の顔そのものであることで示されている。

 

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