手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

ろう学校で口話と手話に分けられて教育された歴史を乗り越えたろう学校の生徒たち

    特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

    

11年間のろう学校教育を

 

 渡辺さんは、70歳の時に被爆体験を証言してくれている。

 

 お母さんの妊娠中の病気で耳が聞こえなくなったこと。

 

 大浦に住むようになったこと。

 8歳の時にろう学校に入学したことを証言している。

 

 そのころのろう学校は、口話と手話に分けられた。

 教室で学習していて、渡辺さんは口話の教室で聴能教育によることばの教育を受けたことを鮮明に記憶している。

 

 アメ、お父さん、お母さんの分別や発語指導を受け、中学部になると和裁を学ぶようになり11年間のろう学校教育を終え、結局、家事手伝いをするようになったと証言している。

 

   手話教育を受ける生徒より優秀だと序列化

 

  渡辺さんは、単に口話だけでなく、聴能教育によることばの教育を11年間受けた事を覚えているのである。

 

 ろう学校での教育が、口話と手話に分けられたのは、京都も同じであった。

 口話と聴能教育を受ける生徒は、手話教育を受ける生徒より優秀だと序列化されていった。

 

 だが、生徒たちの共通のコミュニケーションとしての手話は、教え合い、伝承され創造されていった。

 

 この押しつけられたコミュニケーション手段を自分たちで創造的に受け止めまとめあげていった歴史をきちんと踏まえなければならないと思う。

 

 私の手話の師である故明石欣造さんは、私にそのことの大切さを数え切れないほど教えてくれた。

 そのため私はその明石欣造さんの話を記録しておいたので以下紹介したい。

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