(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
暗闇にぼんやり映る手話
8月9日。
耳から血を流して帰ってきた夫。
職場のの仲間のろうあ者も無事だった、と語り合ったであろう手話は、いつもの喜びに満ちた動きはしなかっただろう。
戦争下、非常事態、灯火管制という薄暗い、暗闇。
夕餉の終わったわずかな時間に目を凝らして見つめ合う手話での会話。
生と死、閉ざされた現実などもう考えられも出来ないような非人間的な現実が、これよこれよと燦々と降り注いできていた。
敗戦 母は悲しみ 渡辺さんは安心
ロウソクか、わずかなランプか、ひとつの白熱灯があったのことだろうが、渡辺さん夫婦の手話は、どんな薄暗い光の中でも絶えることはなかったことだろう。
渡辺さんもどうしても原爆投下地点を目で確かめ、現実を受けとめようと思い続けた。
4、5年後経っても浦上に行く。
敗戦は、母の話で知る。
母は、悲しみ。
渡辺さんは、安心した、というこの対照的な思いはあまりにも複雑。
父も母もなくなり、子どもを育てるための必死の買い出し。
近所の人々の援助もありながらも、子どものお乳のための食べ物まで、取り締まられる時代を生き抜いていく。
親と子と断ち切れない愛情が波打って
腕だけが頼りの時代を生きたと言い切る渡辺さん。
和裁の仕事を再開し、母のかっての想いをかみしめることになる。
三人の子どもは働きながら高校を卒業し、着るもの学費は子どもたちが働いて「工面」してくれたと渡辺さんは言うが、そこには親と子と断ち切れない愛情が波打っているように思えてならない。
年金もあるし手話通訳者もいるのでいろいろ助かります
渡辺さん75歳。
夫もなくなり長男と同居。
戦後の苦しい時代を振り返り、「年金もあるし手話通訳者もいるのでいろいろ助かります。」と証言の言葉を結ぶ。
この言葉は、あまりにも重い。
重いが故に、私たちは渡辺さんと同じ思いをする人々が、この地球上からいなくなるようにお互いの取り組みを固めて行かなければならないと思う。