(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
差別されてきた
聞こえないものにとっては
戦争が終わってよかった
母から聞いた敗戦。
非国民として差別されてきた聞こえないものにとっては、戦争が終わってよかったときっぱり言いきる坂口さん。
悲しくはない、と言う深層には平和の喜びがある。
8月末。島原でみんなと再会。
そして、28歳で結婚。
3人の子どもを聞こえない夫婦で育てるという大変な時期を、坂口さんは淡々と証言。
30余年続けた紳士服の仕事を誇りに思い、両親に感謝していると証言する。
「長崎県ろうあ福祉会」の誕生
ろうあ者問題の解決は自分たちの手で
戦後のようすを坂口さんは生き生きと伝える。
22歳の時にろうあ者の仲間と作った「青ろう会」。
26歳の時に「長崎県ろうあ福祉会」の誕生。
初代会長は、文章が書けるということでろう学校の校長。
しかし、10年後、ろうあ者問題の解決は自分たちの手でとろうあ者が会長をし、その後坂口さんは26年間の63歳までろうあ協会の会長を務めることになる。
ろうあ者の自覚の高まりが成熟して
1988年になくなった山崎さんとともにろうあ福祉協会と手話通訳者の養成に多大な努力を重ねたことを述べる。
そして、自分の子どもがろうあ福祉協会の会長を38歳で引き継ぎ、その子もろうあ福祉協会の青年部長として奮闘していることを語ってくれている。
戦後、長崎のような動きの中で各地でろうあ協会が結成。再建されて来た。
しかし、坂口さんが述べているように、1960年代頃を境にして、ろうあ者運動は大きく変わる。ろうあ者の自覚の高まりが成熟して。