(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
大声を出したのは
悲しみと怒りと不平等さと平和の願いが
小野村さんの兄さんが銭湯で大声を出したのは、悲しみと怒りと不平等さと平和の願いが硬くなに包まれた心の中にあったのかもしれないと思って考えてみた。
私の意見に対して、少なくない人々はお兄さんが聞こえないよう小野村さんに対して理解がなかった、人間扱いしていなかったと言い切るかもしれない。
でも、お兄さんはなぜ家で小野村さんを激しくしからなかったのかと言うことを考えてほしい。
小野村さんが、みんな戦地で死にものぐるいで頑張っているのに!という言葉を口話で読み取り記憶しているクッキリした過去。
あえて、みんながいる銭湯で叱ったことが、お兄さんの小野村さんへの思いやりでもあった、と私は考えるようになってきた。
考えられないような
深い複雑な愛情を含む気持ち
悲しみながら、あえて言わざるを得ない、言うことが小野村さんが生きていくすべになる、小野村さんがぎりぎりの生活の中でも、人からそれなりに理解されるようにと。
今の私たちには考えられないような深い複雑な愛情を含む気持ちの中でお兄さんは小野村さんを叱ったのではないだろう。
もう一度その時代背景を
熟知したうえで考えないと
私は、長崎の被爆体験の証言や家族の人々の動きまわりの人々の動き、それらをもう1度総合的に考え見つめ直してみると、言った言わなかった、言ってことの意味、行動したことの意味などなどを単純に断定できないのではないか、してはいけない、と思う気持ちが日に日に強まってきていた。
聞こえない人々とその回りの人々の様子をもう一度その時代背景を熟知したうえで考えないと、私たちは言うに言えない時代、聞こえていてもものを言えない時代に生きた人々の心情を誤ってとらえてしまうのではないか。
銭湯での声は、風呂屋全体に広がる。
男風呂であろうと女風呂であろうとすべての人々に小野村さんへの怒鳴り声は聞こえたことだろう。
残響の中に消えた声と残った想い
銭湯の中で声を出すと独特の響きを持ち声は反響する。
その残響の中にお兄さんの声は消えていった。
地域の人々の中で、お兄さんが聞こえない弟を叱っていたことが、きっと話題になったことだろう。
あそこまで言わなくても、とか。
なんと残酷でと重々しい 徴兵検査
徴兵検査。
兵役免除。
この言葉の意味はなんと残酷でと重々しいものだろうか。
男にとって生命の分岐点でさえあったとも言うべき、徴兵検査。
聞こえないが故に戦地に行けない小野村さん。
そのようなことがだれでも分かるのに、それを肯定できない軍国主義の暗黒の重圧。
回りの人々はそのことを理解をしていても口に出して言うことはできなかったのかもしれない。
いや、そうに違いない。
叱る度につのる哀しみと想い
兄さんも回りの人々も小野村さんのことを分かりながらも、大声を出して小野村さんを叱る。
叱らざるを得ない、社会状況。
兄さんが、小野村さんを銭湯で叱ったのは、聞こえない小野村さんへの心からの思いやりであったということは、その時代の人でないと理解の出来ない事かも知れない。
でも、あえて、私はここで小野村さんの証言からそのことを読みとったと言いたい。
兄さんが銭湯で出した大声。
悲しみと怒りと不平等さと平和の願いが硬くなに包まれた心の中にあった、と思う。
理解がなかった
人間扱いしていなかったと
言い切るひとびとへ
私の意見に対して、少なくない人々はお兄さんが聞こえないよう小野村さんに対して理解がなかった、人間扱いしていなかったと言い切るかもしれない。
でも、お兄さんは、なぜ家で小野村さんを激しくしからなかった、のかということを考えてほしい。
あえて、みんながいる銭湯で叱ったことが、お兄さんの思いやりでもあった、と私は考える。