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手話と手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

ひたすら兄への感謝を心に込め異臭が漂う長崎市内を流離う

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  (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

   

   ひたすら兄への感謝を心に込め  

     いのちを救った仕事

 

 異臭が漂う長崎市内で小野村さんは、ひたすら兄への感謝を心に込めたと言う。

 

 長崎に原爆が投下された翌年、小野村さんは27歳。

 

 21歳のヤエさんと結婚する。

 

    聞こえない子供が生まれる

      という反対を押し切っての結婚

 

 聞こえない者同士の結婚は、聞こえない子供が生まれるという反対を押し切っての結婚だった。

 

 結婚の翌年に長男、結婚4年の後に長女、結婚7年後に次男誕生。

 

 3人の子供を育てていくことは大変だったが、結婚に反対したお母さんの援助で子供たちを育てられたという。

 

 お母さんは、小野村さんは36歳のときに亡くなり、それから次第に生活が苦しくなっていったと証言してている。

 

 鼈甲細工の仕事をやめ、日雇いの労働につく。

 

 長崎市内の公園の樹木の整備が主な仕事だった。

 

 小野村さんの手の器用さは、この時大いに役立ったとのこと。

 

         終戦 それはとてもうれしかった

 

 この仕事を32年間続け、現在は、長女の家族と同居して可愛い2人の孫に囲まれた幸せな日々だ、という。

 

 60歳のとき、胃の手術をしたが、それは原爆を投下直後に手に入れた豆が原因しているのではないかと考えたりすると証言している。

 

 終戦

 

 それはとてもうれしかった、と手話で表現する小野村さんの写真が本に掲載されている。

 

 優しさを切り裂いてきた時代が見えてくる

 

 小野村さんの写真は、最後の部分で、笑みが一体こぼれている。

 

 が、逆に写真を遡ってみると小野村さんのすべての人生が見えてくるように思えてならない。

 

 扉表紙の写真。

 

 原爆を直後に仕事場から外に出た時の証言の写真。

 

 熊本に疎開するときの敵の様子の証言の写真。

 

 焼けただれた子供のことを証言する写真。

 

 もう1度見直してみると小野村さんが地獄の苦しみの中から生き抜き、手話通訳者と心から打ち解けて証言するすべてが読み取れるようにおもえる。

 

 またそれは、小野村さんの人生のすべてでもあった。

 

 5枚の写真と小野村さんの証言に小野村さんの優しさとともに優しさを切り裂いてきた時代が見えてくる。