手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

被爆者手帳 自分が被爆した証拠 証人 手話通訳

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  (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

     ダンボーイ  カレーを食べたくなる

 

 本の写真に登場する中島さんの表情は、いつもモダンボーイの姿。

 

 カッコをつけているわけでもないのだが、オシャレ好きであったことは間違いがない。

 

 長崎の街は、和風と洋風がうまくマッチして混在するモダンな街の文化がある。

 

 中島さんはその先端を受け継いでいたように思える。

 

 車の中央に座る中島さんの若き頃の写真。

 

 佐世保時代のたばこを吹かしたときの写真。

 

 そして、カレー職人の写真。

 

 私は、この最後の写真の中島さんのカレー職人時代の写真を見たとき、瞬時に中島さんの作ったカレーを食べたくなった。

 

 きっと美味であることが、写真から分かるからである。

 

    喜びを広げた中島流コミュニケーション

 

 右手を機械のハンドルに手を置いて、口を結んで見据える中島さんの表情には、職人魂と作ったものに対する自信に満ちた表情が伺える。

 

 手先が器用で、負けず嫌いで、学ぶ時間を惜しまなかった中島さんは、きっと心にピリットくる独自なカレー味を作り出したのではないかと断定的に思えるから不思議である。

 

 今までの人生を総決算するかのように、味の中に味を作った中島さんの心意気が見えてくる。

 

 食べ物を作り、日本人であろうとアメリカ人であろうと人に喜びを広げた中島流コミュニケーション。みんなが中島さんを大切にした気持は、充分理解できる。


     被爆者手帳が

     今からでも取得できる!って

 

 1990年。中島さん84歳。

 

 全通研長崎支部からの便りが飛び込んだ。

 

 中島さんの人生と被爆体験。

 

 わずか5行であるが、読むものの心を打つ。

 

 被爆者手帳が、今からでも取得できる!

 

 46年間の空白と行政のわずかな補償。

 

  それを埋める作業が、証言のはじまりから幕が開く。

 

 46年もの歳月もたったのに、「証人」がないと被爆者手帳が交付されないとは、日本政府はあまりにも非情すぎる。

 

 聞く、話す、語るなどのコミュニケーションが保障されて来なかった日本の戦後処理。

 それはあえて言う必要もないことだが、聞こえない人々の基本的人権を保障してこなかった行政が、聞こえない人々が、初めて自分たちの権利を知ったのに、それを行使しなかったのは聞こえない人々の責任だ、とするのはあまりにも惨すぎる。

 

   手話通訳者を介して話す証言だけで
  被爆者手帳が交付されないのか

 

 なぜ、本人が手話通訳者を介して話す証言だけで、被爆者手帳が交付されないのだろうか。

 

 いや、せめて、行政が出向いて、被爆者手帳を手渡すぐらいのことをするのが、行政の最低限のつとめだろう。

 

 私は、5行の文字に目を走らせたときの空しさと燃えたぎる怒りは今だに忘れることが出来ないでいる。

 

 中島さんが、「詐称」して被爆者手帳を手に入れるとでも言うのだろうか。

 

 行政は、行政のルールがあるが、あの戦時下の大量虐殺の時代に遡り、中島さんが、自分が被爆した証拠として、「証人」を見つけなければならないなんて……

 

   思う度に頬に涙が流れる

          証人を捜す取り組み

 

 中島さんと共に証人を捜す取り組みをした全通研長崎支部のみなさんのようすを思う度に頬に涙が流れる。