手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

時間は待ってくれなかった 被爆 状況の絵に色付けをする

  

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    (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて


 西郷さん66歳の時に証言。

 

 私の記憶に間違いがなければ、この西郷さんの証言のページに飾られた2枚の絵は、「原爆を見た聞こえない人々」のために描かれたものだったはずである。

 

     あまりにも

  リアルであり あまりにも微細

 

  私は、この絵を見て驚きを隠すことが出来なかった。

 

 あまりにもリアルであり、あまりにも微細だったからだ。

 

 49年も前の情景をここまで細部にわたって記憶されている、のだろうか。

 

 人間の記憶の凄まじさを知りつつも思わず長崎に連絡をとった。

 

 証言をさらに確かにするためにのために西郷さんに絵を描いてもらった。

 

 まだまだもっと描きたいとのこと。

 

 消せない大脳に焼き付けられた映像を、そのままペンを走らせて再現する西郷さんの胸中に何が走ったのだろうか。

 

 原画を手にした私には印刷ではとうてい再現できない細部にわたるペン先の跡をただただ見つめ続けるより為すすべがなかった。

 

     時間は待ってはくれなかった 

 

 2001年夏。

 私は、西郷さんがこの世を去られたことを知った。

 

 そして、あの絵に彼が色付けをすると言っていたことも聞いた。

 

 モノクロからカラーへと彩色しようと考えていた西郷さんの想い。

 

 いったいあの絵にどんな色を添えるのだろうか、と考え込まざるを得なかった。

 

 私には、どうしても重々しい色より、カラフルな色が添えられるように思えてならなかった。

 

 それは菊池さん色とイメージがダブっていたからかも知れない。

 

 少なくない被爆絵を描かれた聞こえる人々の絵に反して、聞こえない人の描く原爆絵があまりにも鮮やかな澄んだ色である、との私の強い思いこみがあるのかも知れない。

 

 が、しかし、西郷さんはあの絵に色付けすることはもうないのである。

 

 時間は待ってはくれなかった。