手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

聞こえない空襲警報 振動の度に恐怖心が増して

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   (特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

盲教育と聾教育が

  同居する中での教育の矛盾

 

 西郷さんは10人兄姉弟妹の四男として誕生。

 

 父は早朝から夜遅くまで働き、あたたかさの中で西郷さんは育く。
 
 船と電車を乗り継いで1時間かけてのろう学校通学。

 

 ろう学校で一生懸命学んだ文字。

 

 三階建ての学校の二階部分は、盲の生徒が学習。

 

 それぞれが「矛盾」を抱えながらも共に学ぶ学習風景。

 

 西郷さんたちには、学校は一緒でも盲、聾の生徒同士のコミュニケーションが成立していなかったことが証言されている。

 

 この教訓は、過去の問題として片付けてしまってはならない。

 

   創造された共同教育は

新しい提起として教育に突きつけた

 

 特別支援教育とか、インクルーシブ、などと語られている中に「ともかく子どもたちが一緒に学校に居る」ことが、絶対評価として考える傾向があるように思える。

 

 この教育上の矛盾を京都北部の盲学校舞鶴分校、聾学校舞鶴分校、通称舞鶴盲ろう分校で1970年代に創造された共同教育は新しい提起として教育に突きつけた。

 

 そこには、戦争の悲惨さからの新しい民主主義教育を目指すものであったが、
特別支援教育がなにか目新しいものであるかのように強調されもみ消されようとしている。

 

    16歳の初夏 

     17歳までろう学校に通っていたら

 

 中学部にはいると病気がちだった西郷さんは、本を読むことが唯一の楽しみになっていく。

 

 活字の世界に西郷さんは飛び込んでいった。

 

 戦争が始まっても西郷さんには、普段と同じろう学校の教育が行われていた、と感じていたことがうかがえる。

 

 西郷さんがろう学校を卒業した16歳の初夏になるとそうではない事態が刻々と押し寄せてくる。

 

 繰り上げ卒業。

 戦争による。

 

 あと1年間、17歳までろう学校に通っていたら、今の自分は存在していないと証言する。

 

    振動の度に恐怖心が増してゆく

 

 聞こえない空襲警報。

 

 周りの人の様子を窺って逃げる。

 

 身体の心棒まで揺さぶる振動。

 

 隠れる防空壕の中で、振動の度に恐怖心が増してゆく。