(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
手話通訳士という「士」という言葉に厚生省がこだわったのも、その後の介護福祉士などの名称を考えるまでもなく一連の福祉制度の「改革」「改悪?」の突破口として手話や手話通訳が考えられていたのも火を見るよりも明らかなこととなっている。
無念を
打ち消してくれるヒューマンウエーブ
1983年から長崎ではじまった取り組みの19年間と国の19年間の動きは、あまりにも対照的であったためそう書かざるを得ない。
私はそれなりの根拠ももってここに書かせていただいている。
そう考えるからこの19年間を腹立たしく、無念ににも思えるが、逆に長崎の取り組みはそれを打ち消してくれるヒューマンウエーブがあった。
「原爆をみた聞こえない人々」で証言してくださったみなさんへの私からのお礼としてこの文をしたためているが、それだけ証言していただいた聞こえない人々の話は無限のひろがりがある。
今、私たちは、もう一度人間の基本に立ち返って、当時の厚生省の打ち出した手話通訳制度や手話についての考えを脱本的に改編する時代を迎えている。