(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
唇に人差し指をつけてヨコに引く=あか・親指と人差し指で円をつくり他の指は拡げる=冠 鶴の曲がったくちばしを親指と人差し指でつくる=鶴 これで丹頂鶴と山崎さんは、手話表現した。
長崎のろうあ者が被爆した記録を
残すことはもっと批判されるだろう
この時は、理解できなかったがその後次第にその丹頂鶴の表現の意味が解ってきた。
長崎県ろうあ福祉協会の会長である山崎さんは赤い。アカダだと揶揄されてきたことを比喩的に表現したのである。
長崎のろうあ者が被爆した記録を残すことは、もっと批判されるだろう。赤い、と。
でも、それでも絶対成し遂げなければならないことなのだという手話表現だったのである。
その後、長崎県ろうあ福祉協会の役員の方々と話をしたが、同じような話が繰り返された。
困難な心情を乗り越えて
ろうあ者の被爆と平和を
訴えたことの意味深さ
長崎県ろうあ福祉協会の会長山崎さんが亡くなり、奥さんが8月9日の平和祈念集会で被爆体験を語ったときに大きな反響が全国に広がった。
今だから書いておいてもいいと思うが、被爆者の気持ちは想像出来ないほど複雑で障害者が平和祈念集会で壇上に立つことを拒む人々も多かった。
その極めて困難な心情を乗り越えて山崎さんの奥さんが全国に、世界に手話でろうあ者の被爆と平和を訴えたことの意味深さを今も強く、強く、感じる。
故人となった長崎県ろうあ福祉協会の会長山崎さんは、どこかで「もう丹頂鶴でなくなった!!」と微笑んでいるかも知れないと思う。
山崎さんの重大決意の奥深さ
それだけに、私には長崎の地域事情や被爆体験を聞く、ということすら並大抵のことで出来ないのだと言うことを山崎さんの手話から読みとれた。
山崎さんは笑顔を見せていたけど、会長として重大決意をしたことはたしかだった。
なぜ、私がそのように思い、なぜ山崎さんが重大決意をしたのかは、敢えてさらに詳しく解説しない。
いま、もし山崎さんが生きていたら私の書いていることはその通りだ、その時そういう決意をしたと答えてくれるだけの自信がある。