(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
赤い。冠。丹頂鶴。
あのときの手話表現は、片時も忘れたときはなかった。
苦悩の日々を重ねていたはずなのに
ほほえみ返し
その後全日ろう連の集会などで出会うたび、山崎さんから全通研長崎支部がろうあ者の被爆体験にろうあ協会と共に取り組んでいることの喜びと私への感謝の言葉が寄せら続けた。
私にとってはそれは意外なことだった。
長崎支部が取り組んだ被爆体験の聞き書きの苦労や少なくないトラブルは、それまで具体的に数限りなく聞いていた。
山崎さんも会長としてそれらの問題も含めて苦悩の日々を重ねていたはずなのに決してそのことを口にすることなくほほえんで喜んでくれたのである。
ろうあ者の人々との固い絆の結び目
長崎において、ジグザグはあるが全通研とろうあ者の人々との固い絆の結び目が次第に増え続けるているように思えてならなかった。
全通研の運営委員をしていてろうあ者の人々から私たちの提案した取り組みに心からの感謝と連帯の意が表明されたのは、長崎とアイラブパンフ運動のふたつの時だった。
私は、この二つの中に私たちのすすめる全通研の取り組みとろうあ者の人々の心からのねがいと要求を織り合わせる赤い糸があると今でも固く信じている。
意識が混濁してもある意識が
強烈にのこる頸腕障害との闘病生活
それからの私はだだ意識が混濁する中にいた。
「けいわん」という病名を知り自分がそれと真っ正面から取り組んでいかなければならかったからである。
多くの人々との出会いは、知らない間に別れとなってしまうしかなかった。
意識が混濁してもある意識が強烈にのこる。
これがけいわんの良さか悪さか私には未だに理解が出来ないが、苦悩のほうがはるかに大きいと思う。
身体症状の「ほぐれ」を意識的に行うと「ホット」した拍子に身体中に血液が波打ち行き渡ると、なにか人間的な暖かさが蘇ようになるのは今だ自分でも不可思議に思う。
全国の多くの手話通訳者が「けいわん」と闘い苦悩し、血の出る教訓を全国の仲間に提示しているのだから、それを恐怖心で見たり「負の遺産」としてみてほしくないと思い続けてきた。
「負の遺産」があったから今日では、「プラスの遺産」とすることが出来る時代になっているのである。
私がここで「けいわん」のことを書くのもある意味ではろうあ者の人々が負ってきた「被爆」という問題に少なくない関連があると思うからである。