手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

赤いバラの向こうの長崎湾へ 人間としての尊厳を何時までも実現していこうと

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(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
 佐瀬駿介  全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて

 

     今と未来を

創り上げていかなければならない時代

 

 私たちが、仲間と共に築き上げ、要求してきた手話通訳制度が、国や行政が意図的にさまざまな歪み・遅れをとりすすめるなどなどが原因で、手話通訳者が「けいわん」という職業病などになり職業病が広がった。

 

 みんながねがっていた手話通訳制度が、本当に実現してきているのか。いつも気にかかり続けた。

 

 職業病を防ぎ・改善し、同じ状況ではない今と未来を創り上げていかなければならないし、それが出来る時代を迎えていることを私たちは知らなければならないのである。

 

    人間の底には必ず見えない
  流れるヒューマンウエーブ

 

 原爆がなぜ作られ、そして投下されたのか。

 

 それが多くの死を招き、人々に与えた影響を知るたびに人々は戦争をなくし人々が平和に生きることをねがった。

 

 人間の底には必ず見えない流れているのはヒューマンウエーブがある。

 

 人間としての尊厳を何時までも実現していこうとするパワー。

 

 辞して待つ。
 こんなことは今の私たちには出来ないのである。

 

 アクションを起こさなければならない。

 

 そのアクションはさまざまである。

 

 けいわんと闘い、健康の回復を目指すことも平和を築いていくことであると思う今日この頃である。

 

   赤いバラと頂鶴

 

 1994年12月末。「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣)の最終稿を終えたとき、山崎さんの墓参りをしないか、と言う話が出された。

 

 とっさに私は、山崎さんの丹頂鶴の話を思い出して、ぜひ墓に花を供えたい。

 

 真っ赤なバラだけを出来るだけ束ねて花屋さんで買ってきて欲しい。

 

 だだ赤いバラだけを……と言い続けた。

 

 墓に赤いバラはそぐわないけれど、赤いバラを供えたかった。

 

 どっぷりと暗黒に包まれた夜。

 

   私と全通研長崎支部の仲間と共に山崎さんの墓を探した。

 

 暗闇の中でつまずいたり、他人の墓を山崎さんの墓と間違ったりしながらやっと山の中腹にある山崎さんの墓を見いだしたとき、輝く長崎の街のに向こうにほんの少し明るみのある長崎湾が見えた。