(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
私は、山崎さんの墓にお参りをし、山崎さん、もう丹頂鶴と言わせないよ、もう丹頂鶴でないでしょ。と私は語りかけた。
遠くの僅かな光りのみだけの闇の中の墓。
添えられた真っ赤なバラ。
そうぐわないようで、マッチ。胸が熱くなった。
朝日を浴びた頃、
墓参りに来た人は、山崎さんの墓に赤いバラだけに陽が射すことにきっと驚いただろう。
バラの花は、供えられていた時よりももっともっと赤みを増し内側から光を放っていただろうと思えてならない。
赤いバラは、勇気をふるって私たちに証言してくれたろうあ者の人々へ捧げるバラであった。
いつかきっと、被爆して死んだ多くの人々に手を合わせながらも、聞こえる人々から危険だと言われながらも、自分も危険だと充分知りながらも、それでもそれを振り切ってろう学校の跡地に向かい続けたろうあ者の人々のいのちの地=ろう学校跡地に永遠の祈念碑を打ち立て、百万本のバラの花で埋めつくしたい。
そんな思が沸々と燃えつづけて今だ消えそうにもない。
私は、「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)を創り上げてきた長崎のろうあ者の人々や全通研長崎支部の仲間に対して、感謝しても感謝しすぎることはないと思い続けている。
生死を彷徨う中でも守り続けられた手話。
生きる、生きたすべてをこころから放つ手話と伝言。
ろうあ者のねがった手話や手話表現や手話通訳は、本当に広がったのだろうか。
手話や手話表現や手話通訳をいろいろと解釈する人は、山崎さんの奥さんの二つの写真を見比べてほしい。
同じ人の表現の中にある信頼の手話。
そして原爆投下を考える人は、アメリカ軍が投下した原爆炸裂を見るだけでなく、その下に居た人が描いた絵を見てほしい。
「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)のことを書いたが、ぜひみなさんが読み、考えて、みなさんなりの考えや行動を起こしてほしい。
心から厚く熱く、お礼とともに。