京都 の 手話 手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
会員とは、「集まる」「寄る」「バッチ」「(「会員章)で、会員とするのだが、これはろうあ協会の「会員」という意味でもあるが、漢字の会は、集まることを意味し、員は、しるしを現すところから表現されている。
ろうあ協会にとって、集まることは、大きな意味を持ち「手の指を広めて 丸く」表現するところに、ろうあ協会の会員がいろいろな違いを乗り越えて「まあるく」まとまることのねがいも籠められている。
明石欣造さんの話では、戦後の全国のろうあ協会の集まりでは、手話表現の違いや地域事情、学歴などなどもあって、渾然としていたらしい。
あちこちから、さまざまな意見が出され、その意見がかみ合わず苦労を重ねて今日まで来たとの苦労話は数え切れないほど聞いた。
幹部は偉いさんではなく
みんなにの意見をさばく
まとめ役
従って、幹部という手話は、みんなの見える机から、意見のある人をあれこれ指さして、発言の上で意見を「この通りですねと指さし」てまとめることから来ていると説明する。
会長は、「1954年手話冊子」では、「会」の「トップ」「長」ではなく、集まった(会)の旧漢字の「長」(镸)の「E」と「ノ」で示されている。
ろうあ協会の運営が手話でも垣間見れる。
ろうあ協会は、自由度を保つためなどもあり、代議員という制度は、後になるが、「評議員」という人たちが全国大会などで意見を提案したり、意見を言った。
評議は、あれこれ意見を言うことだが、明石欣造さん曰く、裃(かみしも)を着けるところから来ていると言っていたが、定かではない。
映画の時代劇では、殿様の前で家臣がやりとりするシーンがよく出てきていたことを想起するが、断定するものはない。
ただ、正式という手話が、「裃」の形を表すことなどから考えると、そうかも知れない、と思えることがある。