手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

手話とは何か 言語とは何か を1954年に提起 京都 の 手話

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 手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

「1954年手話冊子」 第1章 (1)-4

 

  1954年手話冊子は、手話の話における手話の順序と音声との相違と対比を明らかにして例示して手話とはなにか、言語とはなにか、を追求して考えようとの試論を提案している。

 

   ろう児・聴覚障害
  特有の文章の特徴はない
                 と普通学級の先生

 

 先に述べておくが、この相違と対比を読んでみると最近の若者達を中心とした「会話」が手話の順序とほとんど変わらないのではとさえ思える。

 

 主語・述語・接続詞などなど、それまで手話を主として使うろうあ者の特徴として述べられていたことが、そうではなく聞こえる人々の間で「常用化」してしまっているのではないか。

 

 1980年代に京都の聴覚障害児は、ろう学校の生徒数より4倍以上が普通校で学ぶことが常態化していた。
 
 そのため普通校の担任達も聴覚障害児と健聴児が一緒に学ぶ学習形態を熱心に研究・検討・話し合っていた。

 

 その時、従来研究者やろう学校の先生達が盛んに主張するろう児・聴覚障害児特有の文章の特徴について多くの疑問の声が出された。

 

 文章として成立していて、ろう児・聴覚障害児特有の文章の特徴、は見られないということであり、むしろ「ろう児・聴覚障害児特有の文章の特徴」とされる「特徴」が健聴児に次第に増えてきているという指摘だった。

 

 このことは、言語獲得と文字表現という問題として踏まえておきたい。

 

 問題は、以下の例文の「(  )内は音声言語による」とされる部分が、日常会話で最近の若者達を中心とした「会話」では、少なくなっているのではないかということである。

 

  旅行帰りのある青年Aと友人Bとの
手話による対話と音声言語の比較について

 

 今、旅行帰りのある青年Aと、友人Bとの対話を考えてみよう。
(  )内は音声言語による場合である。

 

B「帰った(のは)何時

 

A「昨日午後すぎ(だよ)」

 

B「(どう、向こうは)北海道は、涼しい?(涼しかっただろう)」

 

ーこの場合、質問や疑問は表情で表す。そうして、「手話」はいつの場合もこれらを作っているのである。

 

A「(とても)涼しかった(よ)。京都(は)暑い。(暑かっただろう)」

 

B「(うん、もううだる程だろうようだったよ)暑い。暑い。摩周湖はよかったかい

 

A「よい。大へんきれい。山。バス。うねうね道。見下ろすー美しい。良い。(ああ、とても良かったよ。山の中腹に出来ている道をバスがのぼっていくんだ。うねうねまわりくねったその道をのぼりつめて見下ろすとね、あの神秘的な湖が見えるんだ。蓬々と霧がかかってね。湖の中に浮かんでる小島が、ぽっかりと見えているんだ。素晴らしい景観だったよ)」

 

 ざっと、こういう調子であるが、聴者は、これによっても、大体「手話」の概念的なものを理解なさることと思う。

 

 そして私たちは今、「手話とは何か」という事柄とともに、「言語とは何か」ということを考えていかなければならないようだ。

 

 そして、この問題については多くの詳しい論述があるのだが、私達は今、ヘレン・ケラーの言葉をひいて、この問題の手がかりとしよう。